旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

268 北野神社

2012-09-22 04:41:17 | 思い出日記
 小学生の頃、堀川(ちんちん)電車に乗って北野神社に骨董好きの父親に連れられて良く行きました。日本の一番古い市電で、現在は平安神宮の庭の片隅で野ざらしにされています。広島市内を走っている電車とは違い、もっと小型でドアの代わりに鎖があっただけでした。中立売り(なかだちゅうり)堀川を西に曲がる角が、私は鉄橋の様だと思って一人面白かったのを覚えています。ハッキリとは覚えていませんが、何故かワンマンの様に、降りる時に紐を引っ張って知らせた様に思い出があります。

 今だったらちんちん電車は観光スポットして、お池から中立売りの堀川通りだけでも、残っていたかも知れません。時代には勝てずに36年の7月に、残念ながら惜しまれて廃線になりした。

 堀川は今のように殆どが地中で美しく整備しいなくて、下水を兼ねた汚いドブ川でした。戦争中に道路拡張で広くなる迄、相当に賑やかだったと聞きました。亡くなった私の叔母さんが昔堀川に住んでいて強制的に立ち退かされたと言っていました。何時もあのまま住んでいたらと残念がっていました。そのおばさんの所が、蒟蒻屋を始めて、失敗したこんにゃくを堀川に捨てたと話していました。私の家の前には、下水道ができる迄どぶと言うか溝と言うか、車が良く溝のふたを落とした事があったりした事も思い出しました。

 北野神社は今ある上京警察署が境内で、良く賑わっていたのでした。見世物小屋もあったのですが、今は見ることができないから、一度は見ていたらと残念に思います。へび女とか、ろくろく首とか色々な出し物があったのでした。それを怖いと思って、それはそれで良い時代だと思います。
       
 見世物小屋で思い出しましたが、何処であったか誰と行ったか忘れましたが、多分加茂川の河川敷だと思われますが、木下大サーカスが来まして、何故か柵で囲われた動物が頭の中にあります。

 二条城の前、今バスの駐車場になっている所で、良く凧揚げをして届くはずが無いのに、何故か飛行機に届く程空高く上げた覚えがありました。のんびりして良かったです。自衛隊が戦車、大砲や武器の展示場として二条城の南側に来た時、兄が指を機関銃に挟んで怪我をして、その怪我を自慢していた事が懐かしいです。その二条城に、もう名前も忘れた犬を捨てに行ったのが、残酷だと反省しています。凄いのは、今もある‘ひまわり幼稚園’に私は通園していました。

 昔の東映映画では、必ずお城が出てくると、二条城が出て来ました。太秦に東映映画村ができると出なくなったので、リバイバル映画を見る時は懐かしいです。家で働いていた人の親戚が東映で働いていると言う事で、見に行った事もありました。

 京都駅より南側は田んぼであると思っていましたが、高校になって初めて京都駅の南側にも家があると知ったのでした。私の世界観が分ってもらえると思います。
こんな人間が欧州に旅立ったとは信じられません...
コメント
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