旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

351 電気社会 

2014-02-15 05:57:42 | 思い出日記
 周りを見渡して、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器(ガスはありました)、それに掃除機、トースター等、子供の時に、その総てが家になかったとは信じられなくなってきました。

 特に、トースターは小家族であるから一般化したと思うのです。と言うのも兄家族の話ですが、ある日の朝ごはんの時、炊飯器が故障しましてパンの朝食を食べました。それだけ見ると普通の家庭の朝食ですが、兄家族は3つ子とその2つ上にお姉さんと、今なら例外的に子供が4人もいる家庭でした。それと信じられないですが、その親2人と私がいて合計7人、トースター1つでパンを焼いたという事を思い出します。
 その結果、とんでも無く時間が掛かったのです。それを思うと、私の小さい時、我が家は大家族で、朝、昼、晩とお米のご飯を食べていたのも不思議ではありません。

 今となっては信じられないですが、冷蔵庫は今の冷凍庫位の大きさのものに氷を買っていれて使っていました。それでもそんな冷蔵庫があるだけで十分でした。その頃アメリカドラマで見た、大きな冷蔵庫もテレビでの夢の事でした。

 初めて掃除機を若狭の小浜の親戚の家で見たときは、あんなもので掃除ができるのかと思ったのです。我が家に掃除機は、必要が無くて、掃除をした覚えが無いのでその後もあったかなと今思っています。

 向かいの家は、半世紀以上前、近所で評判になりましたが、他に先駆けて一軒だけ早くに水洗トイレにしました。その頃ドブ川だった堀川まで自分の家の為に水路を作ったという話を聞いたことがりました。

 それほど前ではありませんが、いずれにしろ古い40年程近く前に家にスイス人が泊まった先は、日本式トイレで未だ水洗では無かったのでビックリしたと思います。私の説明が悪くて、冬に湯船に入らなかった事もありました。
 トイレで言うと、昔旅行中にイタリア確かミラノの近く何故か、公衆トイレが面白かった。そこは床全体が平面で、確かでないですが、水の流れる穴があって、平面にそこだけ足が置ける高下駄の様なものがありました。ようをたすと、水が四方から勢い良く流れ出すのでした。この方法を日本でも使えると思ったこともありました。
 その他にも、以前お話した、デンマークでの2つ穴あきの肥溜め式のトイレや、オランダでの水を流す所が見つからないトイレを思い出します。アメリカではつま先で足を置く位高いトイレや有料トイレでそこだけタダのドアの無いトイレ等、世界中何処にでもあるトイレ、世界のトイレは面白い。写真を撮っておくべきでした。

 今となっては、ますます嘘のような誠の話ですが、水洗でない時トイレットペーパーなど無く、おとし紙といって四角な大き目の紙でした。確か、家によっては新聞紙を切って使っていました。小学生のころ堀川通りに、いつ建ったのか鉄筋のアパートの友達の家が羨ましかったですが、そう考えれば、丸太町通りにあった3階建てボロ鉄筋アパートも水洗だったと思うのですが、そこに住んでいた友人、小学校の同窓会の時に聞けば良かったです。
 昭和平成と長い人生いろいろな事を経験して、時代を生きてきたと思います。

コメント
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