どう見ても自分より年上の人が、年を聞くと?若いのに驚き、老けてテレビに映る人が、自分と同年輩に再度驚く今日この頃です。写真をリビングに飾り過ぎて排除され、自分の部屋に持ち込み飾り直しました。数を数えると色々切り取って100枚以上、この数に又、驚きで、嫌がられるはずです。
娘とその娘の写真が多く、以前旅したもの、それ以外に現役の別れの時頂いた写真集、元々部屋にあった兄が棺桶に入ってる写真等。毎日毎日見ていると、写真の中の自分が思っているより老けている訳が分かりました。
それは、良く言うと大人しく優しくなってしまって、目に力が無くなってしまった。つまり「めじから」が弱い、そして無いからだと気付きました。先月、免許更新に行って、「めじから」を注意、又、目元を気にして陰になららいように少し上向いたのですが、それが災いして決して他人に見せられない写真を撮られました。そんな訳で、交通違反も起こせない。
時代の進歩に付いて行くのが遅くなって来ました。スマホも情けなく満足に使い切れない、使い切る必要も無い現在です。子供の頃は下駄を足から蹴り上げて、落ちた時、裏を向いていたら雨、表は晴れ、横に立った曇りや雪とやっていました。下駄のハナオが切れても直してもらって、そして近所には下駄屋さんがありました。今や下駄を持っている人も少なくなりましたし、いなくなった思います。
私の生まれた時は、現実に今あるもの殆どがのものが、存在すらしていない時代です。具体的に言えば、掃除機、テレビ、そして椅子での生活等々。電話は家にはありましたが、一般の家には無い家もありました。公衆電話が街で見受けられなくなり、ガラケーと言う携帯電話も今や古くなりました。そんな時代を、全て知っているという経験して来た事に幸せと感じます。
喜んでばかりいられないのが、利益を求める会社組織が、人口が減っている世の中で、人間からロボットに向かっていく、もうそうなっています。気付かない事ですが便利が一番である時代ですが、知恵おくれの人達の仕事を奪う世の中になっています。
電車の改札を通ると、以前は切符を買うのを駅員さんが受付、それが全て自動に、我々は自分で買えますが、「自分で買えない人達は外に出る事さえ難しいと思う」と、母が言っていた事を思い出します。これはICカードがカバーで、会話は無く、何処までも行けるようになりました。
毎日毎日、時は過ぎるのが早すぎます。この先、どんな時代になるだろうかと考えるより、とりあえず、目力を強くして、今が一番を楽しみます。
娘とその娘の写真が多く、以前旅したもの、それ以外に現役の別れの時頂いた写真集、元々部屋にあった兄が棺桶に入ってる写真等。毎日毎日見ていると、写真の中の自分が思っているより老けている訳が分かりました。
それは、良く言うと大人しく優しくなってしまって、目に力が無くなってしまった。つまり「めじから」が弱い、そして無いからだと気付きました。先月、免許更新に行って、「めじから」を注意、又、目元を気にして陰になららいように少し上向いたのですが、それが災いして決して他人に見せられない写真を撮られました。そんな訳で、交通違反も起こせない。
時代の進歩に付いて行くのが遅くなって来ました。スマホも情けなく満足に使い切れない、使い切る必要も無い現在です。子供の頃は下駄を足から蹴り上げて、落ちた時、裏を向いていたら雨、表は晴れ、横に立った曇りや雪とやっていました。下駄のハナオが切れても直してもらって、そして近所には下駄屋さんがありました。今や下駄を持っている人も少なくなりましたし、いなくなった思います。
私の生まれた時は、現実に今あるもの殆どがのものが、存在すらしていない時代です。具体的に言えば、掃除機、テレビ、そして椅子での生活等々。電話は家にはありましたが、一般の家には無い家もありました。公衆電話が街で見受けられなくなり、ガラケーと言う携帯電話も今や古くなりました。そんな時代を、全て知っているという経験して来た事に幸せと感じます。
喜んでばかりいられないのが、利益を求める会社組織が、人口が減っている世の中で、人間からロボットに向かっていく、もうそうなっています。気付かない事ですが便利が一番である時代ですが、知恵おくれの人達の仕事を奪う世の中になっています。
電車の改札を通ると、以前は切符を買うのを駅員さんが受付、それが全て自動に、我々は自分で買えますが、「自分で買えない人達は外に出る事さえ難しいと思う」と、母が言っていた事を思い出します。これはICカードがカバーで、会話は無く、何処までも行けるようになりました。
毎日毎日、時は過ぎるのが早すぎます。この先、どんな時代になるだろうかと考えるより、とりあえず、目力を強くして、今が一番を楽しみます。