旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

38 田端から東大 Ⅱ

2011-04-23 06:35:33 | 思い出日記
 続く与楽寺坂を降りると左手にその坂の謂れの与楽寺のお墓を塀越しにみながら比較的広い道へ。この町は区画整理が中途半端で所々20-50メーター位の長さだけが広くなっている所がありますが殆どは細い道が多い所です。

 この町の坂の多さが老人を鍛えるのか雨上がりにもかかわらず表に出ている老人が比較的多いのが目に付きました。こんなに年寄りばかりいる東京は、本当には珍しい事と思いました。この様な光景が普通の事になって日本の近未来図で直ぐ来る事になるのでしょう。
 
 坂を下りて少し行くと車の多い賑やかな道灌山通りへ、西日暮里駅を後ろに道灌山下交差点を左へ少し行くと今度は千駄木山への狸坂。対するのは日暮里台地となります。東京も詳しくなりました。そして北区から文京区へ入っていました。

 あいも変わらず坂ばかり、坂を上りきり、砂利道を突き当たると文林中学、左直ぐに高村光太郎旧居跡。我が京都の家は売り払って駐車場になっているのに、この高村邸は比較的広い敷地に今まだ高村の表札がありました。高村家の前の道は細く車も通り辛いような道路にそれなりの家々が建っていました。

 そして、大観音通りを経て その昔は細くて垂れ下がった木の枝で歩き辛かった抜け道だったと言うやぶ下通り。途中で右手の坂道 千駄木のだんだんを上がり、少し行くと左手に幽霊がでそうな、今度は見逃しそうなまたまた細い気持ち悪い坂道が続きます。
 降りると右手に2㍍程の高さの柵が10㍍足らずありました。入り口が開いていたので入りましたが、街中に本物の自然公園で30坪ほどの広さがありました。狭い中は足元が雨でぬかるんでいて、足元の草での汚れを気にしながら歩きました。
右手の土手、左手の住居の壁に挟まれた気持ち悪い薄暗い一角でした。もう二度と来たく無いと思いながら出るとそこにあったのは見覚えのある建物。まさに見た事があるフォラー映画のJUONで外人の家族が住んでいたその雰囲気の世界ではありませんか、本日の梅雨の雨上がりの気持ち悪い蒸し暑さにぴったりの町並みでした。

 そんなことを思いながら次に登るのはなんと解剖坂。登りきったところには日本医大付属病院の白衣の人たちがいてこの地にぴったり過ぎて、本当に気持ち悪い思いをしましたが、最高の日和の散策でした。

 昔の人たちの亡霊がでそうな半日、終点の東大駅前までは後少しでした。
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