高校時代は、学校へ行き毎日顔をあわせ、特にクラスメートやその先生方は、いろんな意味で忘れ難いものとなっています。
その中で卒業後お付き合いして頂いた先生は、担任ではありませんでした。1年生の時は、隣のクラスで大変怖い先生がいると評判でした。その先生に2年から古典を習う事となりました。今でも、「る、らる、す、さす、ず、むじ、まほし まし」何の事か忘れていますが古典の方式として教えて頂いたことを覚えています。その元気一杯な先生が亡くなったと報告を受けました。癌で孤独死とは、まだ良く分からないですし、まだ信じられない状態です。
先生は、「映画監督五所平之助を偲ぶ会」の会長で、監督を大変尊敬されていました。何冊も本を書かれて、毎年東京の例会に出席されていました。五所監督は第4代:日本映画監督協会理事長で日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名でした。
テストの点数をつける時にいつも「ごしょ」と書いておられました。監督が1981年5月1日と79歳で亡くなっていますが、同い年に先生も亡くなられるとは、何かの縁、又、不思議さを感じます。
私は、市川雷蔵の大ファンで、その生涯を書いた本を読んで欲しくて先生に送りました。映画の話、散策や人生についても何にでも話が合う人、合わしてもらえる人が京都に行けば、何時でも会えると思っていましたが、淋しくなり残念です。
45年前、まだ1ドルが360円だった頃、私がスイスの小さな町を一人歩いている時に、団体バスから降りて来た先生に偶然にお会いした事がありました。確か、道路が敷石で、ひき詰めてありました。そして、今でも良く覚えている近くのオープンカフェテリアで珈琲をご馳走になりました。その時、これからパリに行く、部屋は自分だけで遠慮はいらないからと、巴里祭に自分の部屋に来ないかと聞かれました。あの時、行っていればと何時も思い出します。特に、映画「ジャッカルの日」を見る度に巴里祭に行かなかった事を悔いています。結局、その後、巴里祭に行く予定も無く過ぎていきます。
カフェを去る時に、「マダム シルブプレ」とチップを置いて行かれた事を忘れていません。楽しい思い出での一つです。阪神ファンの先生、阪神優勝の瞬間でも空から見てください。又、先生がこのブログを書く上での字かず数も教えて頂いて、それ目安にして書きやすくなりました。有難う御座いました。
バイト先や身近で、僅か5年程で亡くなった方が14人、3月14日は兄の命日、今まで切実に思って無かったですが、死というものが、大変身近なことと感じてきました。
その中で卒業後お付き合いして頂いた先生は、担任ではありませんでした。1年生の時は、隣のクラスで大変怖い先生がいると評判でした。その先生に2年から古典を習う事となりました。今でも、「る、らる、す、さす、ず、むじ、まほし まし」何の事か忘れていますが古典の方式として教えて頂いたことを覚えています。その元気一杯な先生が亡くなったと報告を受けました。癌で孤独死とは、まだ良く分からないですし、まだ信じられない状態です。
先生は、「映画監督五所平之助を偲ぶ会」の会長で、監督を大変尊敬されていました。何冊も本を書かれて、毎年東京の例会に出席されていました。五所監督は第4代:日本映画監督協会理事長で日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名でした。
テストの点数をつける時にいつも「ごしょ」と書いておられました。監督が1981年5月1日と79歳で亡くなっていますが、同い年に先生も亡くなられるとは、何かの縁、又、不思議さを感じます。
私は、市川雷蔵の大ファンで、その生涯を書いた本を読んで欲しくて先生に送りました。映画の話、散策や人生についても何にでも話が合う人、合わしてもらえる人が京都に行けば、何時でも会えると思っていましたが、淋しくなり残念です。
45年前、まだ1ドルが360円だった頃、私がスイスの小さな町を一人歩いている時に、団体バスから降りて来た先生に偶然にお会いした事がありました。確か、道路が敷石で、ひき詰めてありました。そして、今でも良く覚えている近くのオープンカフェテリアで珈琲をご馳走になりました。その時、これからパリに行く、部屋は自分だけで遠慮はいらないからと、巴里祭に自分の部屋に来ないかと聞かれました。あの時、行っていればと何時も思い出します。特に、映画「ジャッカルの日」を見る度に巴里祭に行かなかった事を悔いています。結局、その後、巴里祭に行く予定も無く過ぎていきます。
カフェを去る時に、「マダム シルブプレ」とチップを置いて行かれた事を忘れていません。楽しい思い出での一つです。阪神ファンの先生、阪神優勝の瞬間でも空から見てください。又、先生がこのブログを書く上での字かず数も教えて頂いて、それ目安にして書きやすくなりました。有難う御座いました。
バイト先や身近で、僅か5年程で亡くなった方が14人、3月14日は兄の命日、今まで切実に思って無かったですが、死というものが、大変身近なことと感じてきました。
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