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昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

215 私の子供の頃

2011-07-09 05:22:51 | 散策
  水木しげる氏は、帰国後6年間を日々の生活の為に紙芝居屋さんの絵を描いて食い繋いだそうです。残念な事ですが、総ての紙芝居の原本は何も残っていなくて、テレビが出て来て紙芝居の終わりに早くに見極めつけて東京に行ったそうです。

  私の子供の頃がまさにその時でしたが、当時は紙芝居を町内でよく見たのでした。町内には2人の紙芝居屋さんが別々に来ていましたが、ある日にかち合ってしまって、子供の目の前で喧嘩をしたのでした。面白かったけど、競争は激しかったのでした。
  今思うと、紙芝居も進化を遂げて、今でも良く覚えていますが、手で次の紙を抜くので無く、下に落ちる様にしたりしてナカナカ創意工夫をしたりした物があって面白く見せてくれました。そんな光景も知らない間になくなりました。

  今の子供達は、産まれた時からテレビがあるので驚く事が無くなってしまいましたが、思い出すと良く日曜には家族そろってラジオを聴くのが普通でした。我が家にテレビが来たのは、小学校4-5年になった頃でした。家に帰ると押入れを開けるとテレビがあった感激は未だに忘れません。ちなみに押入れにテレビを置くのが、トレンド?でした。
  それ迄は、近所のテレビを持っている家迄見に行きました。懐かしいのは、いつも帰る時に‘おやかまっさんどした’(どうもお騒がせしました)と言って帰る事でした。
 いつも行くと部屋を暗くして行儀良く正座して5-6人でテレビを見るのでしたが、足がしびれた等、不思議と覚えていないのです。鉄腕アトムの実写版が未だに思い出します。カラーテレビと画面に付けた3種類の色(3本のストライプが単純に入った物)も楽しみました。又、同じように画面に半円の水が入った虫眼鏡を大きくした様なものを付けて大きくなるようにしていました。ついでに私の住んで入る所では、下水の完備ができる小学校低学年迄、まだ下駄を履くのが普通で、近所に下駄屋さんがありました。
  
  夏場は映画の上映が公園で行われました。公園の真ん中に画面を建てて、なんとその画面の前と裏手から両側から見られて、右とか左とか気にしていませんから、とりあえず見られれば良いと言うほどの大盛況でした。又、二条公園での、プロレスを 街頭テレビを見たのは良い思いでした。
  当時は、映画が最大の娯楽でした、いつも満員で特に盆正月公演の時は舞台に上がって迄見ていました、今なら信じて貰えそうもない事ばかりです。特に東映映画の紅孔雀のシャラーリシャラリーラは今でも覚えている主題歌でした。中学の時、仲間の映画館の貸し駐輪場をやっている友人に誘われて、千中(千本中立売り通り)の成人指定映画の‘世界残酷物語’を見に行った事が忘れられません。バンジイジャンプ等、現在ではテレビでやる事がある、当り前の映画でしたが、まさか牛追い祭りをパンプロナに見に行くとは思ってもいませんでした。

  食べ物では、公園でお好み焼きの薄い、今で言うクレープ状にして鉄板でお玉の裏でならした、べた焼き、それと、これはお店(この前見に行きましたが、無くなっていましたが、小柄なおばさんが一人でやっていた、とても汚い店でした)で自分で作ったたこ焼きの蛸が無い丸焼きが、人気がありました。そこでおでんも売っていたのですが、私は嫌いで何が入っていたか不明です。その店の、その臭いがイヤでした。このイメージで、おでんを30歳過ぎる迄食べられませんでした。それから盲腸で入院した病院食で、小学校5年の5月28日に食べた、スコッチエッグはその時、初めての西洋料理を意識した味でしたが、とりあえず美味しさ抜群でした。
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