夏は暑い、暑い暑いといってもこの夏があるから、秋をより涼しく一層感じる事ができるのです。日本人の感覚センスを創り出すのがこの季節なのだと私は信じています。でも、暑いですね。
現在仕事で庭と言うより、大きな公園と言った所の雑草抜きを毎日やっていますが、炎天下で5分も雑草を抜いていれば直ぐにTシャツも汗だくだくです。一通り終えたら、又初めの雑草を抜いた所に帰ると言う、何時になったら終わるのやら、兎に角広くて終わりが無いです。私のブログも何度か同じ話が入ってきます。済みません、今の仕事と同じです。
途中から読まれた方に、旅の話しを一日一話で続けて書いて、1から166話迄は166日位かかって、旅の思い出の一人旅の話を書きました。読んでくださる人が思う以上に多いので、今は一週間に1話を、以前私が成田に単身で行って無事に送っていると知人に送っていた東京散策日記と色々と続けて210話を超えました。本当は一番から読んでもらいたいのです。今日は、脈絡無く書いています。
四季ハッキリ分かれているのが日本ですが、最近生活が益々アメリカ化して蒸し暑い夏はクーラーで冬は全室暖房が効いている所に住むようになってきました。お隣の中国は全戸にクーラーを付ける余裕が無いけど、この先が心配で隣の家が冷房しているから、暑くなって仕方ない所があります。食べるものでもそうで、旬のものでも、殆ど年中食べられるのは嬉しいけど又、最近は季節も無くなって淋しいものです。
北欧と英国も夏は過ごしやすかって、クーラー無しで夏を過ごしたけれど、現在クーラーのある生活を送っている今ならどうなっていた事か分らないです。ただ、京都の夏と違って湿気無く快適だった事は覚えています。
デンマークで夏に野宿した時は日本から持って行った夏用の寝袋で寒くて寝られなかった程でした。野宿したのは一度だけでしたけれど、その後、寝袋は何処に置いて来たか、又は、捨てたか忘れましたが良い経験でした。
その時の荷物には、殆ど必要の無い家財道具一式が入っていてとんでも無く重いものでした。そのリュックも、その頃の山登り用の両サイドにポケットと言うより大きなものが付いていたもので、一人旅所か修学旅行以外に京都を出た事が無かったので、仕方なく大変な事と理解して下さい。その時は、不思議に誰でもやっている事と思ってと言うより、他人の事を気にする余裕が無かったのでした。何も知らないから、比べようがありません。今の人は、何でも買えるのでスマートな格好で素敵です。
底冷えする京都から初めての北欧の冬を経験、まして何も知らない40年前のデンマークは、冬に驚きの家の中はTシャツで過ごすというものであったのでした。(ただ英国は冬が中途半端に寒くて暖房器具が私の知っている所は日本並みの暖房でした。月日の経つのは夢の様に早く、40年以上前とは半世紀前にもう直ぐなるので、今更ながらビックリ。)
そんな訳で、デンマークでは、私の持って行った服で京都にいた時より暖かい冬を過ごせました。考えてみれば、今なら普通の事となりました。20年前にも又行きましたが、デンマークは殆ど変わってなくて、昔と違うのは、お世話になったオンダンパンション ホーリヘーベンは無くなっていて、会いたかったコペンの母さんディテモーは亡くなっていた事でした。
現在仕事で庭と言うより、大きな公園と言った所の雑草抜きを毎日やっていますが、炎天下で5分も雑草を抜いていれば直ぐにTシャツも汗だくだくです。一通り終えたら、又初めの雑草を抜いた所に帰ると言う、何時になったら終わるのやら、兎に角広くて終わりが無いです。私のブログも何度か同じ話が入ってきます。済みません、今の仕事と同じです。
途中から読まれた方に、旅の話しを一日一話で続けて書いて、1から166話迄は166日位かかって、旅の思い出の一人旅の話を書きました。読んでくださる人が思う以上に多いので、今は一週間に1話を、以前私が成田に単身で行って無事に送っていると知人に送っていた東京散策日記と色々と続けて210話を超えました。本当は一番から読んでもらいたいのです。今日は、脈絡無く書いています。
四季ハッキリ分かれているのが日本ですが、最近生活が益々アメリカ化して蒸し暑い夏はクーラーで冬は全室暖房が効いている所に住むようになってきました。お隣の中国は全戸にクーラーを付ける余裕が無いけど、この先が心配で隣の家が冷房しているから、暑くなって仕方ない所があります。食べるものでもそうで、旬のものでも、殆ど年中食べられるのは嬉しいけど又、最近は季節も無くなって淋しいものです。
北欧と英国も夏は過ごしやすかって、クーラー無しで夏を過ごしたけれど、現在クーラーのある生活を送っている今ならどうなっていた事か分らないです。ただ、京都の夏と違って湿気無く快適だった事は覚えています。
デンマークで夏に野宿した時は日本から持って行った夏用の寝袋で寒くて寝られなかった程でした。野宿したのは一度だけでしたけれど、その後、寝袋は何処に置いて来たか、又は、捨てたか忘れましたが良い経験でした。
その時の荷物には、殆ど必要の無い家財道具一式が入っていてとんでも無く重いものでした。そのリュックも、その頃の山登り用の両サイドにポケットと言うより大きなものが付いていたもので、一人旅所か修学旅行以外に京都を出た事が無かったので、仕方なく大変な事と理解して下さい。その時は、不思議に誰でもやっている事と思ってと言うより、他人の事を気にする余裕が無かったのでした。何も知らないから、比べようがありません。今の人は、何でも買えるのでスマートな格好で素敵です。
底冷えする京都から初めての北欧の冬を経験、まして何も知らない40年前のデンマークは、冬に驚きの家の中はTシャツで過ごすというものであったのでした。(ただ英国は冬が中途半端に寒くて暖房器具が私の知っている所は日本並みの暖房でした。月日の経つのは夢の様に早く、40年以上前とは半世紀前にもう直ぐなるので、今更ながらビックリ。)
そんな訳で、デンマークでは、私の持って行った服で京都にいた時より暖かい冬を過ごせました。考えてみれば、今なら普通の事となりました。20年前にも又行きましたが、デンマークは殆ど変わってなくて、昔と違うのは、お世話になったオンダンパンション ホーリヘーベンは無くなっていて、会いたかったコペンの母さんディテモーは亡くなっていた事でした。
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