旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

250 生國魂神社

2012-05-05 05:22:50 | 散策
 本のタイトルも大人の街歩き‘大阪’谷町9丁目で地下鉄を降りました。まず、東海道膝栗毛にも登場したと言う、梅と桜の名所として名高い高津宮を目指しました。いつもですが恥ずかしながら、今まで高津宮そのものを知りませんでした。

 大きな道の裏手を行くと、両側にズート道沿いに大きなお寺がかなりな数がありました。丁度大阪場所をやっている最中で、1つ目のお寺、久生寺に高砂部屋が入っていて関係者以外立ち入り禁止となっていました。

 向かいにある園妙寺は歌舞伎(済みません詳しくありません)に縁があるそうで、看板の説明書きによると、この辺りに良質の水が取れるとして水の寺と言われたそうです。その横に公園に下りて行く道がありました。公園の横に雨の日に関わらず梅の花の道があったので、いずれにしても裏手に出ると思い進んで行くと開けた所が綺麗な梅の花が沢山咲いていました。そして公園が再びあって高津宮への石階段がありました。
 この立派な高津宮を今まで知らなかったとは情けなく思いながら中に入って行くと、かなり実際古そうな石柱に5代目桂文枝と書かれてあって、裏に落語協会の会長桂三枝とあり、思った程そう古い物では無くて平成のものでした。
 丁度結婚式の前で、沢山の人が写真を手にして待っていました。階段の下では、着物を着ているから新郎と思われる人と新婦が小雨降る中を傘をさされて待っていました。階段に通じる石畳の道は門まで長く通じていました。この景色だけで今日来た甲斐がありました。

 向かいに報恩時と言うお寺がありました。お寺には不動尊が法善寺さんのに負けない程のものがありました。このお寺も小さい割には見ごたえがありました。

 通りを挟んで不釣り合いのビジネスホテルと書いてある派手なホテルがありました。1つではありません、派手目の女性が先に朝から働くにしてはと思っていたら、後から来る連れを待っていました。ここはその手のホテル街でした。何故に高津宮が夜に門が閉ざしてあるか分かった気がしました。これが大人の大阪と思いましたが、良く本を見ると紹介されたレストランの値段が高い、今の私から遠い存在となった殆ど1万円以上となっていました。これが大人の大阪であるなら、まだ子供の域を出ていません。

 そこを一人で通り抜けて大通りへ、これは今まで見た中の道路で一番で、御堂筋より同じか緑の無い分広い通りでした。坂の真ん中でセンターラインの柵をまたごうかどうかと考えていましたが、パトカーが停まっていたので歩いて坂のしたへ陸橋を渡りました。

 生國魂神社(いくくにたまじんじゃ=いくたまさん)に行く為に急な、これまで大阪であった坂のある上町台地で一番急な坂を上がって行きました。そこであったのが大阪で一番古いと云われる大きな神社でした。裏から入って行きましたが、神社内にある神社群を指し示した流石大阪、矢印看板が色とりどりに8つもありました。
 
 その看板があって分り易く表示してありました。浄瑠璃神社があって反対方向に井原西鶴坐像までありました。先ず、右の方からと芸事に従事している人がお参りする凄く由緒ある様な、3つ神社が並んでいました。そこを右に行くと断崖占いと言う1人待合室の様な建物の横奥に女性の為の淀君が祭られてありました。まだまだ有るのですがこの辺で正門の方に向かいました。神社の人が乗るのかベンツが境内をゆっくり行きましたが、そこにある神社群の写真つきの看板に、それぞれに総てを成就する為幾らかかるか値段が載っていました。

 そこを出てもその手のホテル街でしたが、源聖寺坂があってここが清水さんへ行くのにはそんなに遠くは無いです。新規墓所受付中、赤い登りを3本上げて募集してました。

 下り終えて、しばらく行くとアパートが畳半畳位の入り口の横に、それと同じより狭い位の幅で5つ位門燈が付いているではありました。こんな所に人が住んでいるとは驚きでした。

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