旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

467 京言葉 (毎週土曜日に更改しています)

2016-05-14 05:26:17 | 
大阪に住み始めて4-5年だったと思いますから30年数年前、大阪豊中から電話で京都高島屋に駐車場があるかを問い合わせたところ「ほん、ねきにあります」と答えられました。長らく聞いていなかった言葉で、それ以降も聞かない「直ぐ、近所にあります」と意味で、殆どの方は分からないかも知れないです。京都を出た事が無い、京都が世界と、私と同じように日本中全て、つまり共通語として通じると思っていたのです、素晴らしいです。

 初めて京ことばを自分が話すのを分かったのは、大阪万博のガーナ館でバイトをしていた時でした。仕事に疲れて「ほっこりしたなー」と言った時の事でした。同じバイト仲間の大阪の人達が、???と、それどういう意味という顔でした。疲れた時に、ゆっくりと「ほっこりしたなぁー」字で書くのが難しいですが、「ああ、疲れたな」という意味です。その時迄、それが京ことばとは知らなかったです。しかし、その時のショックは忘れられないです。

 それから1年して、フランクフルトからストックホルムに乗る予定のスチーデントフライトがキャンセルされた時に失意落胆してユースホステルに泊まりました。その時あった日本人が、ヒッチハイクのやり方を教えてくれたんです。つまり、インターの近くで紙に何処へ行きたいか書いて立っているという、当時はワラをもすがるつもりで有り難たかったです。 日本を出る前、ヒッチハイクでの旅行とは考えていなかったですが、その後多くの旅行がそれになったのでした。

 そこでゆっくりと間延びした話をする日本人に会いました。その人がうちの家から「ほんねきのひと」でした。その時に、つい最近、つまり日本出てから10日程前迄、自分も彼みたいに話していたに違いないと思いました。
 その時の第二ショックは人生を変えました。それ以来、自分の言葉が変わったと、自分自身で感じています。今や立派な標準語を話すと思っていますが、それからン十年して、成田で私を「関西弁」を話す人を探した人がいました。進歩の度合いがン十年立っているのに、やっと京から関西になったのでした。

 私の母親迄、一般に語尾に「どす」を、例えば、「そう、どす」の様に言っていましたが、今や玄人さんしか、余り使っているとは思えないです。先日、殺虫剤のCMを見て全く使ってない言葉、「ぼっかぶり」と言う言葉が正しいか心配になってネットで調べたらありました。ゴキブリの事ですが、大阪でもそう呼ばれているそうです。しかし、お婆さんしか使っていないと紹介されていました。その説明に、私もその年かと、がく然としました。

 何れにしても、生まれ育った所の言葉は大切にしたいものです。しかし、淋しい事ですが、今となっては似非(エセ)京ことばを話すだけとなりました。




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