いつの間にか、200回を超える様になりました。これまでお付き合い頂いて本当に有難う御座います。そもそも、1ドル360円の頃、初めての海外に船で欧州に行ってきた事をまとめるつもりで、1日1ページを目安に書き始めました。現在は散策をメインに1週間に頑張って1ページとなりましたが、その時は暇もあって、それと勢いで、良く毎日書いたと思います。
とりあえず、何も知らない人間が、何も知らないからできたという事が分かってもらえたと思います。今はやはり、色々物を知ると行動そのものが難しくなるようです。それが、若さという強みで、一般に言われるように怖さ知らずでしたから、後先考えずに目の前の事をやって行くだけの事でした。
そもそも、旅に友人と2人で行くつもりでしたが、一緒に行こうとした友人が貯めたお金を、ステレオを買うからと脱落して仕方無く一人で行く事になったのでした。一時は自分一人で行くのを止めようとしたのですが、結果的には一人で行くのが自分を作る上で良かったと思いました。
欧州それに米国に行って、何か出来たかと言うとイササカ心もとないと思います。唯一できたのは、できたと言うより流れ的にどうしても自分で物を判断する機会が多かった事でしょう。今まで自分で判断する事も無く、単純な事、例えば 今日はここに泊ろうか、別の町にしようか、そしてその事が、自分の人生が変わるかも知れない事を 当たり前ですが、親兄弟も誰もいないのに決めていました。実際にこの判断は難しかったのですが、その当時はそれも考える余裕がありませんでした。
思うと良くあれだけの会話力で海外に出られたなと、不思議と自分では話す事に自信があったと思ったのですが、度胸だけでと言うより何も考えていなかったと思います。知識が無かった為に、ロンドンで初めて自動改札を通り方が分からずに、人に尋ねて通った事、ニューヨークでは今なら行けない所も歩いていくと言う、良く無事にいられたと思います。古い高層のYMCAでは、宿泊の為、エレベーターに一人で乗った時は思わず身構えていました。
思い出すと、海外に行く用意の為に、少林寺拳法をならっていたのでした。構えだけで、どうしようもない拳法でして、それでも自信があり 一度はコペンのユースでアメリカ人に挑んで倒されて、危うい所を同僚の土屋氏に止めて貰った事もありました。
しかし、会った人々がいい人ばかりで常に良い方向に向かって行ったと思います。私の頃は、海外に出るのがやっと一般的になり始めた頃でした。
忘れられないのが、私が小学校の時に見た、テレビの‘兼高かおりの世界の旅’に紹介されて、路線バスに乗って行った、ローマ郊外のチボリの噴水(デンマークのチボリではありません)でした。ここに行きたいと旅の初めから思っていました。テレビで見たままのありとあらゆる噴水の風景に、本当にテレビで見たのと同じだと感動した事が一番忘れられない思い出でした。今なら、どうやって行くのかも分からないし、路線バスに乗って良く行った事です。お金が無ければどうにかなるものです。
自分の生きた高々2年程の事、人生で忘れられない日々、思い出があったのだと今思います。あの頃はと思い出す年になったという事です。
とりあえず、何も知らない人間が、何も知らないからできたという事が分かってもらえたと思います。今はやはり、色々物を知ると行動そのものが難しくなるようです。それが、若さという強みで、一般に言われるように怖さ知らずでしたから、後先考えずに目の前の事をやって行くだけの事でした。
そもそも、旅に友人と2人で行くつもりでしたが、一緒に行こうとした友人が貯めたお金を、ステレオを買うからと脱落して仕方無く一人で行く事になったのでした。一時は自分一人で行くのを止めようとしたのですが、結果的には一人で行くのが自分を作る上で良かったと思いました。
欧州それに米国に行って、何か出来たかと言うとイササカ心もとないと思います。唯一できたのは、できたと言うより流れ的にどうしても自分で物を判断する機会が多かった事でしょう。今まで自分で判断する事も無く、単純な事、例えば 今日はここに泊ろうか、別の町にしようか、そしてその事が、自分の人生が変わるかも知れない事を 当たり前ですが、親兄弟も誰もいないのに決めていました。実際にこの判断は難しかったのですが、その当時はそれも考える余裕がありませんでした。
思うと良くあれだけの会話力で海外に出られたなと、不思議と自分では話す事に自信があったと思ったのですが、度胸だけでと言うより何も考えていなかったと思います。知識が無かった為に、ロンドンで初めて自動改札を通り方が分からずに、人に尋ねて通った事、ニューヨークでは今なら行けない所も歩いていくと言う、良く無事にいられたと思います。古い高層のYMCAでは、宿泊の為、エレベーターに一人で乗った時は思わず身構えていました。
思い出すと、海外に行く用意の為に、少林寺拳法をならっていたのでした。構えだけで、どうしようもない拳法でして、それでも自信があり 一度はコペンのユースでアメリカ人に挑んで倒されて、危うい所を同僚の土屋氏に止めて貰った事もありました。
しかし、会った人々がいい人ばかりで常に良い方向に向かって行ったと思います。私の頃は、海外に出るのがやっと一般的になり始めた頃でした。
忘れられないのが、私が小学校の時に見た、テレビの‘兼高かおりの世界の旅’に紹介されて、路線バスに乗って行った、ローマ郊外のチボリの噴水(デンマークのチボリではありません)でした。ここに行きたいと旅の初めから思っていました。テレビで見たままのありとあらゆる噴水の風景に、本当にテレビで見たのと同じだと感動した事が一番忘れられない思い出でした。今なら、どうやって行くのかも分からないし、路線バスに乗って良く行った事です。お金が無ければどうにかなるものです。
自分の生きた高々2年程の事、人生で忘れられない日々、思い出があったのだと今思います。あの頃はと思い出す年になったという事です。
私もこの番組を子供の時によく見ていました。
兼高さんと芥川隆行さんの軽妙な会話のやりとりに引き込まれて毎週日曜日の朝かかさず観ていました。
先日、20代の女性に兼高かおるさん知ってる? って聞いたら、やはり誰も知らなかった。(まあ、当たり前ですか!)
ドンドン自分より年上の人が鬼籍にいかれます。淋しい限りです。