思いもしない大きな花束を頂いて超感激!6年続けた高齢者施設を辞めた時でした。バイト先の事でビックリ!朝早く働いただけで年休が、続けているマンションの管理員と大違いです。花束を頂いたのは定年退職以来、辞めた理由は新型コロナが心配してでした。お返しになればと親会社に新型コロナの対策方法を親会社にメールで送りました。クリスマス にポインセチアを持って施設へ!一部分しか見ていませんが以前と同じでした。クラスター!心配し過ぎ? ’71年当時の若い日々に戻ります...
朝食後、フランス娘達が出発の挨拶に、どの娘も可愛い仕草で気持ち良かったでした。朝から気分爽快、そして午前中にお茶の時間を初めて持ち、ゆっくりと楽しい時間でした。
楽しい事は続きません。昼過ぎに来たのは昔のユース、つまり老人ばかりの団体が到着。今その年になるとは!誰がや?済みません私でした。日本なら考えられない年寄りがユースに、その団体だけで殆ど満ベットで今日着いた本当のユース達は寝る所が無く、大変困って「近くのユースは何処にあるか?」等、聞いて来て我々も困ったものでした。
そんな中、キクちゃんを頼って来た人は、1,000ドル(1ドル360円当時は大金、今の私にとっても大金)持っているにもかかわらず、誰に断るでも無く居候を決め込んだのでした。他の連中とも話す事無く、夜、彼を無視してカードを楽しんだのでした。
朝早く、土屋氏とキクちゃんが部屋を出て行ったので時計が狂っているのかと、それは老人達が早朝から食事をすると分かりました。どの国でも老人は早起きでした。(私もそのポイントはクリアして現在、4時半起きです。)
昨日の居候は勝手に部屋の床に寝ていました。もう一人の居候である村上氏が、どう注意したか不明ですが外に出て行ったのです。信じられない程、人との付き合い方が下手でした。
部屋に女たらしであだ名’’デン助’’が、地酒を造ったと言うので買わないかと持ってきました。私にとって出費だったけれど(たかだか一人2kr)、その当時は赤ワインは飲めなかったけど買いました。かなり大きな物(10リットル位)で実際かなり安かったです。
夜、しのさんからヒッチで帰って来てチボリ公園から彼女に振られたと電話を掛けてきました。我々と合流して、そして夜遅く迄かなり飲んだのでした。ちょっとドイツに行って来ると、2泊で帰って来ましたので、本当に隣町にちょっとだけ行ってきた感じでした。翌朝は二日酔いでふらふらでした。
〔注、高齢者では無く老人「高齢者と海」(ヘミングウェイ) ’71年の事で文中で老人を用いています〕
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