旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

364 井戸掘り

2014-05-24 04:48:52 | 思い出日記
 若いころはむやみに手を延ばしたが、その出せる手もだんだん減っていって来ました。死は生の終わりでは無く、到達点なのだ。どれだけさわやかに生き、見事に死んだかである。
 見事に死ねたら良いのですが、延命処置で生きるだけ生かすというのが近代医学であると思いますから、そうた易く死ねるとは思っていません。だから死ぬまで元気でいなくては、いけないのです。健康に人一倍気を付けていますが、これが難しい...

 食べられなくなったら、胃ロウという栄養を口からでなく直接胃までチュウブで送るという手段もあります。徳田トラオさんのように不自由になっても目で字を指してコミニケーションを取るをいうこと可能になってきました。昔なら、きっと死んでいたと思われる人達がそうやって生きながらえている現在です。世の中、進歩が良いか迷います。

 世界を見回せば、幼児、そして子供たちが衛生状態が悪いだけで死んで行っているのも事実です。たまたまテレビを見ているとアフリカで家に水を引けない為に、子供たちが遠くまで汚れた飲み水を汲みにいかなければいけない所でした。その子供の家の中には家具だけでなく家財道具らしきものは無く暮らしていました。もちろん布団も無くて、地面に布を敷いて寝なければならないのです。生まれてからその様な生活を普通としているという、現代社会にもまだまだ最低限以下の生活を強いられている所があります。
 
 そこでアフリカに井戸堀に日本から行きましたが、番組上、上手く行って万歳とはなりませんでした。はるばる遠い地に行って1ヶ月以上のテント生活を強いられて、自分の努力が報われなくて無になったと分かった時、その落胆は計り知れないです。
 この状況の中、笑顔で一生懸命に協力した現地の人の落胆は余り映しませんでした。その人達は、夜中まで働きそれが無駄に終わった時の落胆は想像する以上のものがあったと思います。そんな本当に良い人ばかり、自分が何もやっていないのに、こんな事を言うのは避けなければいけないのですが、あれほど協力したのならもっとスポットをあてる必要があったのに残念でした。

 厳しい環境で与えられた試練に、何事にも精一杯生きていかなければと思います。こんなに苦労している人達は世界中にあちこちに沢山いると思います。ただの傍観者として、頑張れとしか云い様がありません。

 狭い日本を飛び出して、世界各地に行ってその土地の人達を援助して役立っている人はまだまだ沢山いると思います。最近はそのような人もスポットが当たる人がいますが、私は若い時に、デンマークで小さな子供達を相手に数ヶ月、ましてオムツ替えに疲れきったのが恥ずかしいです。
 過ぎ去った昔の反省ばかりの今日この頃です。明日をもっと考えなくてはいけないと思っています。
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