今まで航空会社で、営業、空港業務、退職してからマンションの管理員とやって来ましたが、環境が私を作って来たと思います。環境に左右され易いのです。一番大変だったのが、そとから見たら簡単、空港業務でした。時間に追われて、皆に迷惑を掛けて本当に厳しかったです。座席の割り当て、チェックインから出発ゲート、手荷物受け渡しと一通りこなしたのでした。今までと関係無く自分の地位と言うか人の見る目も違って来たのでした。自分で勝手にそう思ったかもね!
人間の環境と地位とは、多くの場合生まれた所に左右されますが、ましてや昔は下層階級に生まれた人々は悲惨なものがあったのに違いないと思います。徳川時代は約250年間、士農工商と決まっていた時、その枠から外れたら死が待っていたと推測されると思います。現在その酷い状況は知る由も無いです。そうでなかったら、この長い間この日本人が殆ど発明らしき物を考えて作らなかったとは信じ難い事です。それ程厳しい管理社会だったのでしょう。
今、遅いですが司馬遼太郎の‘竜馬が行く’を読んでいますが、あの時代も上下の厳しさは類を見なかったしょう。総て想像ですが、しかし、私のその想像の上を行く作家はやはり大した人たちです。劇作家やシナリオライター、勿論、小説家は想像力の固まりと思います。寝室、戦場での語り、あるいは内緒話を見て聴いてみたように言うではありませんか、昔の話は資料の1行あるいは1節、一言、又は、何も無い所から、会話や話を作っていくのです。こんな事を考えていると小説も面白くなくなりますが、これって凄いと思いません。今からでは考えられないですが、どれだけ頭が良くても取り上げる意見はごく一部の武士の意見だったと思います。これは数多くの人たちがただ生まれて、日々の生活に手が一杯で考える事迄も考えない社会、そして死んでいったのでしょう。休みも盆暮れで、祭りの時は今の比では無くその日の休みの為だけ楽しむと言う事で盛り上がり方は想像もできません。今の私も変わらないと言う事で、会社が盆の休みを取るのに理不尽にもありません。そして、今頃になってどう生きようか考えている様です。そういう意味で江戸時代の人間より長生きした分、ちょっとましかも知れません。
現在、環境と地位が人を造ると言うのが典型的に出ているのが首相と言うことになるでしょう。しかし、首相らしさはもう何代も前から無くなっています。首相も前はもう少し元気があったと思います。この頃は、自分で言う言葉に注意してだと思いますが、原稿を間違いなく読んでいると言う始末です。間違いと言うものは、信念があれば大きく違わないはずですが、仲間内からも野党からも散々言われ続けて失敗が怖いのでしょう。又、言葉尻を捕まえて、文句を言う野党もどうしようもありません。
今回見た管首相は、野党にいる時あれだけ自信ある顔をしていたのに、今や映し出される顔は疲れきった顔でした。しかし、粘りには驚きです、今までの首相はどれも簡単に辞めて、セコイ人は365日やって報奨金だけキッチリ貰ったのに、嫌味でなく、未だに首相は続けているのは偉いとしか言い様がありません。日本をどうにかして欲しいですが、粘り強さにただただ恐れいるだけです。
良いですね、3つのお願い聞いて、聞いてくたら... 管さんの顔は以外にスッキリとしていました。
人間の環境と地位とは、多くの場合生まれた所に左右されますが、ましてや昔は下層階級に生まれた人々は悲惨なものがあったのに違いないと思います。徳川時代は約250年間、士農工商と決まっていた時、その枠から外れたら死が待っていたと推測されると思います。現在その酷い状況は知る由も無いです。そうでなかったら、この長い間この日本人が殆ど発明らしき物を考えて作らなかったとは信じ難い事です。それ程厳しい管理社会だったのでしょう。
今、遅いですが司馬遼太郎の‘竜馬が行く’を読んでいますが、あの時代も上下の厳しさは類を見なかったしょう。総て想像ですが、しかし、私のその想像の上を行く作家はやはり大した人たちです。劇作家やシナリオライター、勿論、小説家は想像力の固まりと思います。寝室、戦場での語り、あるいは内緒話を見て聴いてみたように言うではありませんか、昔の話は資料の1行あるいは1節、一言、又は、何も無い所から、会話や話を作っていくのです。こんな事を考えていると小説も面白くなくなりますが、これって凄いと思いません。今からでは考えられないですが、どれだけ頭が良くても取り上げる意見はごく一部の武士の意見だったと思います。これは数多くの人たちがただ生まれて、日々の生活に手が一杯で考える事迄も考えない社会、そして死んでいったのでしょう。休みも盆暮れで、祭りの時は今の比では無くその日の休みの為だけ楽しむと言う事で盛り上がり方は想像もできません。今の私も変わらないと言う事で、会社が盆の休みを取るのに理不尽にもありません。そして、今頃になってどう生きようか考えている様です。そういう意味で江戸時代の人間より長生きした分、ちょっとましかも知れません。
現在、環境と地位が人を造ると言うのが典型的に出ているのが首相と言うことになるでしょう。しかし、首相らしさはもう何代も前から無くなっています。首相も前はもう少し元気があったと思います。この頃は、自分で言う言葉に注意してだと思いますが、原稿を間違いなく読んでいると言う始末です。間違いと言うものは、信念があれば大きく違わないはずですが、仲間内からも野党からも散々言われ続けて失敗が怖いのでしょう。又、言葉尻を捕まえて、文句を言う野党もどうしようもありません。
今回見た管首相は、野党にいる時あれだけ自信ある顔をしていたのに、今や映し出される顔は疲れきった顔でした。しかし、粘りには驚きです、今までの首相はどれも簡単に辞めて、セコイ人は365日やって報奨金だけキッチリ貰ったのに、嫌味でなく、未だに首相は続けているのは偉いとしか言い様がありません。日本をどうにかして欲しいですが、粘り強さにただただ恐れいるだけです。
良いですね、3つのお願い聞いて、聞いてくたら... 管さんの顔は以外にスッキリとしていました。
たくさんの記事ですねえ。
感心しました!
管元首相にかんするつぶやきを拝見して、
面白かったので、コメントつけました。
すっから管、あき管、などと言われても、
知ってるのか、知らないのか、
元首相は、3か月粘りに粘って3つの約束に
こぎつけた、でも。。もしそれで彼が満足し
ているのなら、ちょっと待ってよ、
官僚組織を変えると意気込んだ国民との
約束は何処へ行った?
世論優先で、方針を思いつきで変えに変え、
気がついてみると、
旧体制への逆戻りの傾向が、
どじょう内閣に引き継がれてしまった。
お陰で我々には、ただダブル税金を払わされる道筋だけが見えるだけ。。
これ以上、税金払わされると、貧困層が広がり、復興も経済発展もゼロに近い。
国民は財務省支配に反対デモをするべき。。
日本人はオトナシ過ぎるし、勉強不足、
独りよがりに、憤慨する毎日です。
のっけから過激発言お許しください。