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284 平成25年 昭和は...

2013-01-12 05:43:54 | 思い出日記
 元旦珍百系SPで、以前番組紹介されたのをマトメテご長寿ばかりを特集していました。決して私がご長寿とではありません(それに近いかも)、ただ自分もまた昭和生まれを再確認した事がありました。94才の方が昭和30年代から絵日記を書いているのを見て、あんな事こんな事もあったなと思い出した事がありました。

 日記絵の中で、障子に人差し指につばを付けて穴を開けて中の様子を探るのを、昔の侍映画で良くやっていた事を思い出しました。ちょうど子供の時に、それを真似て障子に穴あけをしてたのでした。その為でもありませんが昔我が家では年末に障子に張り替えをしていました。その時、ここぞとばかり障子を突き破った風景を懐かしく思い出しました。

 最近の家は洋風化して障子がなくなって、あっても紙が丈夫で張り替えの必要がなくなってきました。また、映画でもテレビでも穴を開けるシーンが見られなくなり、真似をする人間が少なくなったのか破れ障子の家が無くなったように思います。又、みんな良い子になって、そんな馬鹿な事をする子もいなくなりました。たまに大家族の家で破れフスマを見る事がありますが、平成25年4半世紀がたち、益々昭和が遠くなって来たと思います。

 明治以前はガラス窓が無かったので、考えて見れば日本だけですが、光を取り込む事において障子は大切な手段であったと思います。時代劇を見ていると下町の家や農家では雨戸は無く、入口から土間、直ぐ部屋となりかなり寒かったに違いありません。実際、寒いのに都会に囲炉裏が無かったのも部屋が狭く、そして一番火事が怖かったと思います。

 デンマークからイギリスに渡って、当時最初に思ったのがロンドンの我々がいる所は暖房施設完備していなかった事です。日本と同じ様に特別寒い所では無く、オーバーを羽織って部屋に入るとTシャツと言う、暖房が抜群の寒さの厳しい北欧とは違いました。

 友人のイタリア人に日本の家は紙と木で出来ていて、食べ物飲み物をこぼしてもいいなと言っていました。何の事かと思うと日本は高床式住宅で床の下は物をコボシテモ問題無いと思っていました。畳の床を、籐の幅の荒い床の下に豚でも飼っているように思われていたのでした。

 そんなに前とは違うと思っていた昭和と言う事に懐かしさを感じてきました。あっという間の平成25年、その間戦争を経験し無くて良かったです。これから伸びゆく昭和25年、その様に平成25年もなって欲しい物です。
 とりあえず日本の年号は良いものです。
 







































































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