京都に行けば先ずお墓参り、清水さんの裏手にありますが今回はそこから始めます。電柱が無くなって良くなっている数少ない回りの風景と同化しています。
昔、新丸太町通り(円町―嵐山)の道路が出来る前、封鎖されていた道を車で自由に走っていました。田畑のかなり向こうに見える、緑にマッチした西山は本当に綺麗でした。電柱一つ立っていない、そして車が一台も通っていない美しい京都の山並みを知っているのは私位といつも自己自慢、心の宝の一つにしています。開通と同時に出来た家々に、山に至るまで田畑がある緑の風景が全くなくなってしまいました。
昔、我が家の前で、多分ガイド(2人に説明)と思われる人が、本当かどうか分かりませんが、応仁の乱、京都が乱れて格子戸の家になったのですと説明していました。子供心に言葉は良く覚えていますが、我が家は、窓のある家にリホーム、それはそれは住みやすく明るくなったのでした。古い家を守るのは大変な事です。太秦映画村にお城ができて二条城のお城も映画の舞台にならなくなりましたが、今あるお城の駐車場で凧揚げをしたことが夢のようです。
その頃から、京の町が近代化して行ったのでした。こんな具合に町は悪くなる一方ですが、その中で良くなっているのが今日行った所です。
先ず、清水裏手から入ると始めに子安の塔があります。そこは現在修理中ですが、裏手から見る清水寺は最高のビュウポイントで、友人のスイス人命名kita’s viewと呼ばれています(誰も知りませんので、悪しからず)。下っておとわの滝、今日は意外に観光客が少ないですが、ここを訪れるのが定番です。何時も清水さんを上に見て、その下を歩きます。池がありますが、心と言う字になっていると言う事ですが、同行者の説明です。私にはその字は、読めないです。
ちなみに今日は同行者がいるので、観光を兼ねています。と言う訳で、どういうわけや、(一人突っ込み)体内廻りを案内する事にしたのでした。門の左手に随求道(ずいぐどう)がありますが、多くの人がそのまま真っ直ぐに進んでこの建物に行きませんが、お参り料も1人100円と手頃ですので一度は行ってみて下さい。入り口でお金を払い、靴を入れるナイロン袋を受け取り、地下に入る様に一歩中に入ると漆黒の闇、つまり本当に1寸先が見えなくなります。前の人が見えませんので、左側の数珠の様な手すりを(どの手すりや!済みません!その手すりさえ見えません)持って前に回りながら、ゆっくり回りながら進むと薄明かりでまわるい石の台を触って回しながら念じると願いを一つ思うと叶うと言われています。面白いです、是非一度。
清水坂の土産物屋さんを見ながら下りて、右に折れると3年坂があります。同行者が前を一人で行くので、私も歩くのは負けていないはずなのに置いていかれます。2年坂で回らずに行くと八坂の塔が見えて来ます。
舞妓姿をした2人ずれが、足が痛いのか、こっぽりをぬいで草履に履き替えていますが、ぬいだ物はどうするか見たかったけど前に同行者がいるので急いでついて行きました。神社で見ざる聞かざるの3猿を見て、同行者が日本で一番古いと以前、横にいたガイドが言っていたとの事ですが、ホントかなー。そんなに価値のあるものを手で触れる距離にある、やっぱり信じられません。
そこで見た舞妓姿をした2人ですが、内1人はどう考えても50代(60かも?)に乗っている人でした。その後会った2人はすれ違った人が、オカマと言っていたけれで、この頃だったら本物のおかまの方が結構美人が多いと言う程どうかなと言う2人でした。ちなみに、お多福さんの様な人も写真を撮られていました。みんなスター気分が味わえます。
ねねの道、円山公園を過ぎて知恩院、ここは立派な建物の中が無料ですからお薦めです。出て左手天井に左甚五郎の忘れ傘を見て、殆どいない観光客に驚きながら平安神宮迄歩きました。
夜は同行者の奢りで三条麩や町と通りの名をつけた、前を通り過ぎた程で間口の狭い、町屋そのままの奥行きのある店で、自分のお金で食べられない料理をカウンターで頂きました。現在見る事が無くなった、大黒柱もある(我が家もあった)古い建物でいつまでも残って欲しいお店でした。帰りにその家のモダンな2階も拝見しました。
それから、又、祇園に行ってFINRANDIRと言う、私が昔良く行ったショットバー、これも入り口が格子戸で入り難いです。中は昔ほどではありませんが行って下さい。祇園にはこの様なお店が何軒もあるのですが、暫く行かないと忘れてしまうようです。
同行者の人つきあって頂き、本当に有難う御座いました。
昔、新丸太町通り(円町―嵐山)の道路が出来る前、封鎖されていた道を車で自由に走っていました。田畑のかなり向こうに見える、緑にマッチした西山は本当に綺麗でした。電柱一つ立っていない、そして車が一台も通っていない美しい京都の山並みを知っているのは私位といつも自己自慢、心の宝の一つにしています。開通と同時に出来た家々に、山に至るまで田畑がある緑の風景が全くなくなってしまいました。
昔、我が家の前で、多分ガイド(2人に説明)と思われる人が、本当かどうか分かりませんが、応仁の乱、京都が乱れて格子戸の家になったのですと説明していました。子供心に言葉は良く覚えていますが、我が家は、窓のある家にリホーム、それはそれは住みやすく明るくなったのでした。古い家を守るのは大変な事です。太秦映画村にお城ができて二条城のお城も映画の舞台にならなくなりましたが、今あるお城の駐車場で凧揚げをしたことが夢のようです。
その頃から、京の町が近代化して行ったのでした。こんな具合に町は悪くなる一方ですが、その中で良くなっているのが今日行った所です。
先ず、清水裏手から入ると始めに子安の塔があります。そこは現在修理中ですが、裏手から見る清水寺は最高のビュウポイントで、友人のスイス人命名kita’s viewと呼ばれています(誰も知りませんので、悪しからず)。下っておとわの滝、今日は意外に観光客が少ないですが、ここを訪れるのが定番です。何時も清水さんを上に見て、その下を歩きます。池がありますが、心と言う字になっていると言う事ですが、同行者の説明です。私にはその字は、読めないです。
ちなみに今日は同行者がいるので、観光を兼ねています。と言う訳で、どういうわけや、(一人突っ込み)体内廻りを案内する事にしたのでした。門の左手に随求道(ずいぐどう)がありますが、多くの人がそのまま真っ直ぐに進んでこの建物に行きませんが、お参り料も1人100円と手頃ですので一度は行ってみて下さい。入り口でお金を払い、靴を入れるナイロン袋を受け取り、地下に入る様に一歩中に入ると漆黒の闇、つまり本当に1寸先が見えなくなります。前の人が見えませんので、左側の数珠の様な手すりを(どの手すりや!済みません!その手すりさえ見えません)持って前に回りながら、ゆっくり回りながら進むと薄明かりでまわるい石の台を触って回しながら念じると願いを一つ思うと叶うと言われています。面白いです、是非一度。
清水坂の土産物屋さんを見ながら下りて、右に折れると3年坂があります。同行者が前を一人で行くので、私も歩くのは負けていないはずなのに置いていかれます。2年坂で回らずに行くと八坂の塔が見えて来ます。
舞妓姿をした2人ずれが、足が痛いのか、こっぽりをぬいで草履に履き替えていますが、ぬいだ物はどうするか見たかったけど前に同行者がいるので急いでついて行きました。神社で見ざる聞かざるの3猿を見て、同行者が日本で一番古いと以前、横にいたガイドが言っていたとの事ですが、ホントかなー。そんなに価値のあるものを手で触れる距離にある、やっぱり信じられません。
そこで見た舞妓姿をした2人ですが、内1人はどう考えても50代(60かも?)に乗っている人でした。その後会った2人はすれ違った人が、オカマと言っていたけれで、この頃だったら本物のおかまの方が結構美人が多いと言う程どうかなと言う2人でした。ちなみに、お多福さんの様な人も写真を撮られていました。みんなスター気分が味わえます。
ねねの道、円山公園を過ぎて知恩院、ここは立派な建物の中が無料ですからお薦めです。出て左手天井に左甚五郎の忘れ傘を見て、殆どいない観光客に驚きながら平安神宮迄歩きました。
夜は同行者の奢りで三条麩や町と通りの名をつけた、前を通り過ぎた程で間口の狭い、町屋そのままの奥行きのある店で、自分のお金で食べられない料理をカウンターで頂きました。現在見る事が無くなった、大黒柱もある(我が家もあった)古い建物でいつまでも残って欲しいお店でした。帰りにその家のモダンな2階も拝見しました。
それから、又、祇園に行ってFINRANDIRと言う、私が昔良く行ったショットバー、これも入り口が格子戸で入り難いです。中は昔ほどではありませんが行って下さい。祇園にはこの様なお店が何軒もあるのですが、暫く行かないと忘れてしまうようです。
同行者の人つきあって頂き、本当に有難う御座いました。