たいちゃんの奥の細道

~人生、すなわち旅也~

べいまっくすが行くっ!!vol.3

2015年01月07日 01時58分40秒 | 日記
そして鶏肉が食えなくなった件


それでも何度かの追い込みの末に午後10時過ぎにノルマの鶏舎の殺処分が終了です。

鶏舎の外で束の間の休息を取ろうとしていると、新たの指令が・・・

「えっと、上の鶏舎、人も資材も足らないので、これから総動員でお手伝いします。あと15分ぐらいかな。がんばりましょう!!」


不謹慎ながら・・・ココまで疲労が蓄積して来ると、なんだかハイになって楽しくなってきます。
何年か前の夏、日本第2位の高峰「北岳」を攻めた際、山小屋までの最後の2kmのトラバース道を涙流しながら笑って歩いてたのを思い出します。

確かに上の鶏舎では人数も少なかったのも有るんでしょうが、超アナログ作業で一向に捗っていないご様子・・・
早速、機械化部隊の導入により、今まで使っていた金網、ボンベ、処刑箱(?)を総動員して、作業を再開します。

聞くところによると、本部で知事が「総理のお膝元、今日中(深夜0時)には作業を終わらすように」との指示が有ったとか無かったとか・・・



ええっ、やったりますよ!!まかせといてっ!! (←すでに頭の中、イッてます・・・)



ココでは私、ガス係・・・
蓋にノズルを入れ、コックを開けるだけの仕事ですが、直接的に虐殺するこの作業が精神的に一番堪えます!!
故に、なんとなく「地べたに正座」で作業します。


そして午後12時前に、全作業終了!! (15分とか言ってなかったっけ??)

思わず、よっしゃ~~!!「芸能人格付けチェック」のGACKTみたいなガッツポーズです。
前進を消毒し、現場詰所で防護服を着替え、再びバスに乗り長門市農業者トレーニングセンターへ。
ここで保健師の問診、医師の診断を終え再び着てきた服に着替え、バスに乗り込んだのは深夜の2時過ぎでした。
そして県庁到着は早朝の4時頃・・・すでに意識はもうろうとしてますが、家路につきます。

帰路、次々に「松屋」や「すき家」に吸い込まれて行く人々・・・
あたくしも、すき家で迷わず「牛丼特盛り、豚汁お新香セット」を注文です。




この作業以来、鶏肉が食えなくなりました。


鶏肉(特に唐揚げ)見ていると、あの「お~~~~!」みたいなうなり声が頭の中で聞こえてきます。



職場では、どおせ「風評被害の対応措置」として、長門市産の鶏肉や卵の斡旋販売なんかが有るのかもしれませんが・・・





悪いが、しばらくは「無理」です。
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べいまっくすが行くっ!!vol.2

2015年01月05日 19時12分27秒 | 日記
「べいまっくす、動けなくなる」の件


16時前、バスは「長門市農業者トレーニングセンター」へ。
ここで、件の防護服に着替えます。
ぽっちゃりメタボ体型のたいちゃん、全身白の防護服を着た姿は、正に「ベイマックス」です。



↑ほぼ、これ・・・



再びバスに乗り、件の養鶏場へ。

ここで長靴、マスク、ゴーグルを装着し、超簡単に作業の説明を受けます。
1 鶏舎の鶏を捕まえ、密封できる箱に元気な鶏さん達を3~4羽入れ、出口に持ってくる。
2 炭酸ガスのボンベでガスを箱に入れ、蓋を密閉し鶏が動かなくなったら箱をパレットの上に積み上げる
3 以下、その繰り返し・・・


16:30それでは作業開始!!


ええっ、私は最前線で鶏を追っかけます。まぁ数も多いので、簡単に捕まえられます。
鶏を捕まえては箱に入れ、出口に持って来てはガス係(?)にガスを入れてもらい、箱を運び出す・・・
そんな作業を2時間ばかり繰り返し、やっと鶏舎の1/5辺りまで来たでしょうか。

このまま奥に進んでも効率が悪いということで、有志3名で最奥部に進入し奥から鶏達を入口方面に追い出す作戦に出ます。

第1回目:箱と蓋を叩きながら実施。脇から逃げ出す鶏も多い(半分ぐらい)のですが、そこそこ入口方面に追い出しは可能でした。

第2回目以降:金網での追い出し。効率は良さげですが、鶏舎内の突起物でできる隙間から2割程度が逃亡します。

通称「鶏追い」と呼ばれる作業、一見楽そうなのですが、結構、気と反射神経を使います。
捕獲班は1時間に1回程度休息があるのですが、網を放すと鶏が逃げ出すので鶏追いには座って休める休憩がありません。

実際、箱の準備等で捕獲班が20分程休憩になった際、鶏追い2名は電気の消された鶏舎の奥で必死でネットを支え、鶏達の思いがけない反撃にじっと耐えてました。


知ってます?

鶏って鳴くとき一斉に鳴くんですよ・・・

それも『オ~~~~!!』
みたいに威嚇するような鳴き声
オマケに後ろ前からつつかれるし、肩に乗られたりもしました。
(キャプテンハーロックかっ!!)

その内、鶏の声が人間の話し声のように聞こえてくるんです





こえ~~!!





「鶏追い」には、暗黒の中、その恐怖に耐え続ける強靱なメンタルが必要です。






それと休憩が無いって事はトイレ、水分補給、もちろん食事はありません。
腹減ってるんで、鶏達が追い込まれながらもエサをついばんでたりすると、ちょっとだけムカつきます。


さて・・・
再び鶏舎に明かりが灯り作業が再開された際、ちょっと気が緩んだのか、そこらの壁に左手を付いたところ


『ガシュッ!!』という音と共に左手に痛みが走ります。
実は鶏舎の中には換気のための大きな換気扇が回っていたのですが、その羽と換気扇の間に親指から薬指の4本が挟まって、身動きが取れなくなりました・・・




べいまっくす、不覚っ・・・




羽を前後に回しても動かず、手を手前に引いても抜けず、結局、指を羽と共に奥に押し込み、わずかに撓んだ隙間から、なんとか脱出に成功です。
※後に手袋を外してみてみたら、親指が内出血し腫れてました。
過日、どおせ「労災」扱いにはならないし、病院はお休みなので、湿布をしてほっといたところ、1月3日には腫れもすっかり引いて目立たなくなったことから「勝手に完治」と判断しました、はい。
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べいまっくすが行くっ!!vol.1

2015年01月04日 13時09分39秒 | 日記
死屍累々の年末


皆様、明けましておめでとうございます
本年も旧年同様よろしくお願い致します




さて、去年の末、山口県でも鳥インフルエンザが出ましてですね
今年の一発目のネタは、その「処置対応」に駆り出された事を書いておきましょう

出動待機命令が下ったのは12月29日の夜のこと
パソコンのキーボードの上にコーヒーをこぼし、慌てふためいてる時でした。
いや~宮崎県や島根県で相次いで出ていたので「そろそろかな~」とは思っていたのですが・・・







「今夜あたり着くと思って待っとったよ」





具体的な出動要請は翌日30日の朝8時半過ぎに連絡がありました。
「達:本日16時カラ翌深夜2時マデ、第二班トシテ長門市出兵ヲ命ジル」


鳥インフルエンザでは、県や市町、関係団体の職員が白い防護服とマスク、ゴーグルに身を包み、発生が確認された鶏舎の鶏を殺処分し運び出す事になります。
比較的初動に近いこの時期だと、正に最前線の鶏の殺処分に従事することを覚悟しなければなりません。



ラジャー、了解!!




まだ集合時間に余裕が有ることから、年末年始のお買い物をしているお昼直前に、第二報



「達:集合時間ヲ14時ニ変更、間ニ合ウ者ハ速ヤカニ参集セヨ」



とりあえず買い物を済ませ、昼食のラーメンを流し込み、ダッシュで集合場所の県庁に向かいます。

集合場所に向かう途中にも、これから同作業に向かうので有ろう同志の方々をチラホラ見かけます。
ええっ、こんな年末、作業ズボンに防寒着のオッサン連中「あれ」意外思いつきませんから、すぐに分かります。


第二班は150人から200人の規模でしょうか?
既に朝っぱらから出動している第一班が手こずっているとの情報で、大本営より早々に第2陣の投入が決まったようです。


この時点で報道各社からは「山口県長門市の養鶏施設で鳥インフルエンザが検出」としか知らされていなかったのですが、バスの前には「深○養鶏○○農場行き」とか堂々と書いてあります。

心の何処かで、そうじゃないかなと思ってはいたのですが・・・



「ああっ、やっぱり」感が否めません



(・・・っつうか書いて良かったのか、この張紙??)
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