来週からいよいよ新学年の授業が始まる。前期の担当科目は、学部二年生の古代史と上代文学史、三年生の中世文学史、修士一年の日本古典文学講読、修士二年日本思想、それに修士一・ニ年共通のセミナーである。いずれも二時間の授業。学部は前期を通じて毎週あり計十二週二十四時間、修士はすべて計六週十二時間。修士二年の日本思想が前期前半六週間、修士一年の講読が前期後半六週間、セミナーが隔週六回。前期はこれらの授業が火曜日から金曜日までの四日間に組まれており、火・水・金は一コマだけ、木だけ二コマ連続の四時間。せめて週三日にまとめて欲しかったとも思ったが、新しい職場に慣れるためにも前期はキャンパスに足繁く通うのも悪くない。それに、後期は学部二年の中古文学史の一コマだけだから、自分の研究に集中できる。メリハリがあって良いとも言えるし、今から後期の研究計画を立てておくこともできる。
学部の授業は担当教員間共通の教科書にそって坦々と進めていくのが基本だが、修士はテキストの選択も授業内容も自由に決められる。修士二年は、家永三郎『日本思想史における宗教的自然観の展開』(1943年、『家永三郎集』第一巻所収)を基礎テキストにして、和歌に現れた宗教的自然観を上代から中世初期まで辿りながら、日本人がどのように自然を宗教的対象として見るようになったかを辿り直す。修士一年は、ちょっと欲張りな内容なのだが、二つのテーマがある。短歌と俳句を基礎資料として、古典詩歌の中にいかに動的イメージが捉えられているかを見るのに前半三回、後半三回では、中古の女流歌人たちの日記である『蜻蛉日記』『紫式部日記』『和泉式部日記』『更級日記』において日記という表現スタイルによっていかに彼女たちの「自己」が形成されているかを見る。いずれの授業も実際に始めてみないとどこまで計画通りに行くかわからないが、毎回の授業の内容についてはこのブログの記事にしていくつもりでいる。
修士一・二年共通のセミナーは、特別な目的を持っていて、これについては別の機会にもっと詳しく説明するつもりだが、さしあたり簡単に紹介しておくと、法政大学の哲学科の演習と共通のテキストを一学期かけて予め読んでおき、その成果を来年二月のアルザス・欧州日本学研究所での共同ゼミにおいて二日間に渡って日本語で発表・討論するということをその目的としている。今年度のテキストは私が選ばせてもらった。高橋哲哉の『靖国問題』である。選択の詳しい理由説明は別の機会に譲るが、現実的な理由の一つは、信頼できる仏語訳があるということである。これは、日本語での議論では当然ハンディがあるフランス人学生たちが、テキスト全体の理解については日本人学生と較べて極端な落差を持たなくて済むようにするためである。