今日の修士二年の演習がストラスブール大での記念すべき最初の講義であった。出席は四名。これで全員である。残りの修士二年登録者六名は全員日本に留学中かこれから留学に出発するところである。日本学科では、修士の一年と二年との間に一年間の日本留学が義務づけられており、ごく一部の例外を除いて、この留学なしに二年生に実質的に進級することはできない。留学組は、だから事務登録上は二年生だが、二年生の演習に参加するのは来年以降である。
今日出席の四名は、さすがに一年の留学経験があるので、私が日本語で話した部分もほぼ完全に理解していたし、私の質問に的確かつほとんど淀みなく答えることができた。今日は、二時間の演習のうち、だいたい日本語三割、フランス語七割といったところだろうか。
日本語で彼らの修士論文の研究テーマを簡単に説明してもらった。彼らの説明を基に論文のタイトルに私なりにまとめると、「明治期における衛生政策 ― 特に遊郭の場合」、「一九六十年代の学生運動をテーマとした文学作品研究 ― 高橋和巳の作品を中心に」、「平安時代の宮廷における陰陽師の役割 ― 『御堂関白記』を手がかりとして」、「明治期の男女平等思想 ― 森有礼の近代婚姻論を中心に」となるだろうか。それぞれに面白そうなテーマである。
テキストを読ませてみて、彼らの漢字読解能力の高さに驚いた。基礎テキストである家永三郎の『日本思想史における宗教的自然観の展開』は、一九四三年に書かれたテキストであり、歴史的仮名遣いである上に今日はほとんど使われない漢字も中には含まれていたし、送り仮名も今日の常用とは違う。にもかかわらず、まったく予習なしの初見で、かなりすらすらと読むのである。ただ、文の構造理解となると別問題であった。一文一文が長く、構造的に複雑なので、一読で理解できるというわけにはいかなかった。今日のところは、だから、テキストを音読させただけで、訳と解説は私がつけていった。読んだのは最初の頁の導入の一段落のみ。
家永のテキスト読解を始める前に、研究の進め方、論文の書き方等について予備的考察としてあれこれと話した。その中の話題の一つとして、研究対象のテキストの読み方について話したとき、一つの示唆として、本居宣長の『うひ山ぶみ』の一節を原文で一緒に読んだ。
古学研究に必須の第一文献を列挙した後に、宣長は、それらをどう読むかという問題に答えて、およそ次のように言う。
すべてそれらの書物を読むのに、必ずしも順序を決めて読まなければならないということはなく、その時その時の便宜に応じて、順序にこだわらずにあれこれ読めばいい。
また、初心のうちは、最初のほうかすべて文意を理解しようなどとしてはいけない。まずざっとさらさらと見て、他の書に移り、あれこれと読んで、それからまた前に読んだ本に立ち返ればいい。こうして何遍も読んでいるうちに、最初はよくわからなかったことも徐々にわかるようになってゆくものである。
さて、そのようにして読んでいるうちに、その他の重要文献についても、学問の方法についても、次第に自分の考えがしっかりできてくるものである。したがって、それ以上のことはいちいち教えなくともよい。「心にまかせて力の及ばむかぎり」(ここは原文のまま)、古い文献から後の世のものまで広く通覧してもいいし、場合によっては、そこは簡単にして、広く及ばないという行き方もある。
このような読みの態度は、他の分野、他の時代にも基本的に適用可能であろうし、修士論文のためにそれこそあれこれと読まなくてはならない四人の学生たちにとって何らかの示唆になればというのがこのテキストを紹介した理由であった。
来週の演習では、家永のテキストに出てくる「迦微」(カミ)概念の理解を深めるために、やはり宣長の『古事記伝 神代一之巻』に見られる「迦微」についての説明箇所を読む。