内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

自然への畏怖、豊穣祈願、祭り、文学の原型、そして文学の誕生へ

2014-09-18 18:13:37 | 講義の余白から

 木曜日には担当授業が二コマ組まれているが、修士の一・二年合同ゼミは隔週なので、今日は午前十時から正午までの二年生の古代文学史の一コマのみ。
 昨日というか今朝三時に起きて準備した資料をプロジェクターで映しながら講義しようと思ったのに、何度か試したが私のパソコンを階段教室のシステムがなぜか認識してくれない。先週は何の問題もなかったのに。正直に言うと、機械には強い方ではない。あれこれ試しても時間の無駄に終わる可能性が高い。仕方ない。テキストのみをたよりにすべて口頭で説明する。
 こういうことは前任校でもときどきあったことで、この程度のことで慌てふためくことはないし(しかし、せっかく準備してきたのにと少し腹は立つ)、すべてしゃべりだけで説明しようと一旦頭を切り替えると、かえって話すことに集中できて、うまくいくことが多い。今日もほぼ二時間、ノートなしで喋ったが、学生たちも非常によく耳を傾けてくれていた。
 今日のテーマは、日本の古代文学史そのものに入るための導入として、文学の誕生に至る人間の歴史。採集生活から、組織的な作業を必要とする水稲耕作のための定住化、そこから生まれる集団生活、そして共同体的社会の成立、文化の誕生、小国への進展。これらの社会の組織化の過程の中で、人々が抱き続けていた自然に対する畏怖、豊穣への祈願が〈祭り〉として共同体の安定の維持に不可欠な要素となっていく。その祭りの場で語られれる神聖な詞章(呪言や呪詞)、これが文学の原型。これらの詞章は、日常の言語とは異なり、韻律をもった律文として唱えられる。しかし、この段階では、詞章はまだ祭りの場の音楽や舞踊と一体化したままである。共同体の統合が進み、諸小国から統一国家が形成されていく過程の中で、神聖な詞章もしだいに言語表現としての自立性を獲得し、それとして洗練されていく。ここに文学が誕生する。最初の形態は、だから、歌謡であり、神話であった。
 ここまでの話に関しては、学生たちはテキストを予習してきていることになっているのだが、見たところ本当に予習してきたのは半分以下だろうか。確かにやたらと難しい漢字は出てくるし、表現も難しい。一年間だけ日本語を勉強しただけの学生には難しすぎる文章であろう。だから、前期の前半は大目に見ることにしたが、その代わり、予習ではなく、講義で説明されたテキストの仏訳の提出を今日から宿題として義務づけた。ちゃんと予習してきた学生たちにとっては、講義を聴きながら自分の訳を直していけばよかったのだから、宿題といっても簡単であろう。そうでない学生たちにとってもいやでも講義の復習として訳さなくてはならないのだからいい勉強になるはずである。
 まだ授業時間が二十分残っていたので、次の節「口承から記載へ」に少し入る。ここから日本文学にとって固有の問題が始まる。つまり、表記システムとしての大陸からの漢字の導入である。これがそれまでの流動的な表現を固定化し、歌謡は定型化への、神話は散文化への道をたどっていくことになるが、土着の歌謡と神話を、それとはまったく異質な文字言語で表記することに伴う様々な問題が発生し、それが日本の表記文学にその起源において世界に例を見ない特異性を与えることになる。
来週はここから話を再開する。