内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

私撰万葉秀歌(9) 「見れど飽かぬ」― 自然と交感する魂振り的呪語

2014-09-07 18:34:22 | 詩歌逍遥

 今日も朝からよく晴れた。日曜日の今日、プールは午前八時から。日中は昨日にも増して混むだろうと予想されるので、開門に合わせて行く。入り口についた時にちょうどシャッターが上がり始めた。開門を待っていた人たちは十人程度。私のように歩いてくる人は少数派で、車や自転車で来る人が多い。水の中には一番乗り。近くに大きな建物といえば、欧州議会があるくらいで、空がことのほか広く感じられる。背泳ぎで青空を見ながら泳ぐのが気持ちいい。
 書斎の窓は、床から天井近くまで届く大きな二重窓の引き戸になっていて、机に座るとその窓越しに隣家との境に植えられた三・五メートルほどの高さのカイズカイブキの垣根が正面に見える。その垣根の左手の方にカイズカイブキに包まれるように植わっている高さ六,七メートルほどの冬青の枝がこちらに向かって敷地を越えて細長い枝を幾本か差し伸ばしていて、その先端はベランダから手を伸ばせば届きそうな距離である。垣根の背後、正面よりやや右側に冬青よりもさらに背の高い林檎の木が枝を四方に広げている。ざっと数えてもすでに数十個はあるだろう林檎の実があちこち赤く色づき始めているのが座ったままでもよく見える。これらの樹々の枝の重なり合った奥に空が見える。

 「見れど飽かぬ」あるいはそれに近い表現は、万葉集に約五十例を数える。この表現は、伊藤博『新版 万葉集 一』(角川文庫)によれば、柿本人麻呂創始の表現である(56頁)。通常、「見ても見ても見飽きることがない」(伊藤訳)、「いくら見ても見飽きることがない」(岩波文庫新版『万葉集(一)』訳)などと現代口語に訳される。
 万葉集中最初の例は、巻一の人麻呂の持統天皇吉野行幸に供奉した際に作ったとの詞書がある長歌とその返歌一首(一・三六、三七)である。長歌の方は、「この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激く 滝の宮処は 見れど飽かぬかも」と締め括られ、反歌は、

見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまたかへり見む(一・三七)

 万葉歌に見られる「見る」という行為に与えられたこの特権的な重要性は、古今集以後急速に失われていく。逆に後世の眼から見れば、わざわざ歌の末尾に「見ゆ」と付けたり、「見れど飽かぬ」と締め括ることで明示的に表現された視覚に与えられた特権性は、どこから来るのかということが問題になる。
 今、「見ゆ」と「見れど飽かぬ」とを並置したが、それぞれ別々に実例に沿って検討すべき表現であるから、今日は後者のみついて覚書を残しておく。ただ前者について一言だけ付言しておくと、佐竹昭広『萬葉集抜書』(岩波現代文庫)所収の「「見ゆ」の世界」によれば、古代語「見ゆ」の背後には、「存在を視覚によって把捉した古代的思考」が強力に働いていたと認められる(36頁)。
 「見れど飽かぬ」は、日本語による叙景歌の成立契機とその特異性を示す一つの指標的表現であると見なすことができる。この点、白川静の『初期万葉論』(中公文庫)第四章「叙景歌の成立」は極めて示唆的である。巻九の笠金村の「神からか見が欲しからむみ吉野の滝の河内は見れど飽かぬかも」(九・九一〇)から始まる三首を引いた上で、白川は次のように言う。

この讃歌の主調音は「見れど飽かぬ」自然の姿を歌うことにある。この自然は自然の美しさのゆえにではなく、「国からか見が欲し」という地霊の誘ないによるものであり、「見れど飽かぬ」というのがその交感の方法である。「山川を清みさやけみ」とは国から、神からを示すもので、この清なるものは叙景的な意味での自然に連なるものではない。「見れど飽かぬ」はそのような霊的なものに対する感応的な態度であり、それは魂振り的な用語である(140頁)。

 白川はさらに、上に引いた人麻呂の第一作に言及しつつ、「見れど飽かぬ」は、「その状態が永遠に持続することをねがう呪語であり、その永遠性をたたえることによって、その歌は魂振り的に機能するのである」と言う(153頁)。
 そこからさらに論点を一般化して、先に言及した佐竹昭広の「見ゆ」論と交叉する地点に至る。

古代においては、「見る」という行為がすでにただならぬ意味をもつものであり、それは対者との内的交渉をもつことを意味した。国見や山見が重大な政治的行為でありえたのはそのためである。国しぬびや魂振りには、だた「見る」「見ゆ」というのみで、その呪的な意味を示すことができた。『万葉』には末句を「見ゆ」と詠みきった歌が多いが、それらはおおむね魂振りの意味をもつ呪歌とみてよい(154頁)。

 〈見る〉ことそのことが自然との生き生きとした内的交感であり得、その〈見る〉ことにおいて「聞かれる」神霊あるいは地霊からの呼びかけによって魂が揺さぶられるそのような内的経験に定型歌として表現を与え、その表現を儀礼的定式化していくことによって人間の側から神霊あるいは地霊に応答する古代人の感応性は、私たちがもはやいかにしても取り戻すことができない失われた魂の能力なのだろうか。
いや、根源的受容性が私たちの「身」から決定的に失われてしまわないかぎり、万葉歌を朗唱するとき、古代人の自然への感応性が、たとえ微かにでも、私たちの魂のうちに〈コトバ〉によって励起されるのを感じることができると私は確信している。