内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

滞仏丸十八年

2014-09-10 18:09:20 | 雑感

 新年度講義開始二日目の今日は、最初にフランスに来た日から起算してちょうどまる十八年になる。昨年の同日の記事「滞仏丸17年」の中で、滞在の始まりの困難についてはすでに書いたから、ここにそれを繰り返すことはしない。一年前のその記事を読み返しながら、記事を書いていた当時は想像していなかったような転機がこの一年の間に自分の人生に訪れたことを改めて有り難く思う。今は、一年前の暗く不安定な心境から解放され、こうしてストラスブールに居を構え、これから定年まで腰を据えてここで研究と教育に従事していこうという覚悟が決まっており、そのための生活の形とリズムを少しずつ調えつつある。
 私が最初に同じ日本学科で教えていた一九九八年から二〇〇〇年には、まだ学士課程しかない学生総数八〇名ほどの小さな学科で、最高学年である三年生は五、六名だった。その時担当した授業の一つが三年生の「古典文法入門」だった。この授業は、自分がかつて日本で万葉集を学んでいたころに得た知識を「再起動」させるきっかけとなった。学生たちと代表的な古典作品のさわりを原典で読みながら、なんとか彼らにそれぞれのテキストの美しさを伝えようと、毎回丸一日かけて授業の準備をしていたことを懐かしく思い出す。何年も経ってから、卒業生の一人と偶然パリであったとき、その授業のことを今でも忘れがたい授業として覚えていてくれたことが嬉しかった。
 今日の講義は、同じ学部三年生の「中世日本文学史」。出席者二七名。まさに隔世の感がする。最初の五分間ほど、少しふざけた自己紹介を日本語とフランス語でして教室の空気をほぐしてから、授業の目的、毎週の宿題、試験の形式、成績判定の要素と基準等について説明する。ここまでで約二十分。二時間授業の残りの時間を使って、教科書として使用する日本文学史の高校生向け参考書の格調高い文体で書かれている「はじめに」を、昨日の修士二年の演習の時と同様、予習なしの初見で読み始めた。
 まず学生に一文一文音読させる。七人の学生に読ませたが、その中には相当によくできるのもいた。しかし、たった一頁の文章とはいえ、最初の文を除いて、どれもかなり一文が長く、しかも構造的に複雑、その上そこに表明されている文学史を学ぶ意義と方法とそのために必要とされる作業の説明は、一読で理解するには若干高度過ぎる内容であった(おそらく日本の平均的高校生にとってもそうであろう)。しかし、一つ一つの文を構造的に分析しながら、繰り返し読み、筆者の思考の順序に従い、提示されている概念間の関係を確定しながら、その内容の理解に務めた。初回初対面にもかからわず、学生たちの反応は極めて良好で、いい質問、うまい訳の提案等がいくつか出て、上々の滑り出しであった。来週のテーマは、中世文学史の重要概念。