昨日の記事の末尾に記したように、昨日の午後はプルタレス城まで散策に出かけた。よく晴れた初夏のような一日で、少し早足で歩くと汗ばむほどであった。日曜日ということで、城の周りの庭はかなりの人出だったが、少し城の付近から離れれば、時々散策している人に森の中で会う程度で、周りに誰もいない緑地の真ん中のベンチに一人寝そべって本を読んでいる人もいた。
泳いでいるときは、ほとんど何も考えられないし、それがまた気分転換になっていいわけだが、歩いていると思考にリズムが生まれて、歩くにしたがって考えがうまく展開していくことがある。昨日がそうだった。三つの準備中の原稿について、それらのそれぞれに異なった主題的問題の間を行きつ戻りつしながら考えが展開していくにまかせていると、それぞれのテーマを巡る思考がより明確に分節化されてゆくのがわかる。一方では、扱っている問題は違っているにしても、私自身の基本的アプローチあるいはスタンスがどこにあるのかが明確になっていき、他方では、それぞれの問題の焦点がより明瞭に結ばれるようになる。
一時間四十分の散歩から帰ってきて、それらの思考の断片をすぐにパソコンに入力してから、汗を流すために一風呂浴びる。
今度は湯船に寝そべりながら、歩きながら考えたことを反芻する。まだ、いわば「仕込み」の第一段階だから、あまり細かい点にはこだわらずに、一つのテーゼを変奏させたり、発展させたりする。その過程で文と文がうまく繋がり始めると、実際の発表のときようにそれらを声に出してみて、文章がどこまで自然に繋がっているか確かめる。これは主にフランス語の場合だが、日本語でもときどきそうする。そうして一応の纏まりができたところで満足する。その日はそこで止めて、しばらく考えを「寝かせる」。その考えがそのまま熟成していくか、腐敗あるいは干からびてしまうかは何日か経ったあとに確かめる。