他なるものと繋がること、あるいはそれに寄り添うこと、あるいは自分に寄り添うものに支えられることで自己の安心を得ようとするのは、人間の自然な傾向性と言ってよいだろう。しかし、何かに依存しなければ得られない安心は、いとも容易く失われもする。その喪失はたとえこちらに落ち度がなくても起こりうる。
だからといって、誰にも頼らずに一人で生きていくのだと肩肘張って頑張っても、恒常的な安心が得られるわけでもない。その状態がネットワークの中で孤立しているだけの欠如態でしかないのならば、繋がりを求めるのと同じ地平にとどまったままなのであり、実は何の問題の解決にもなっていない。
いつのころからか、「チーム〇〇」という表現をテレビや映画でよく聞くようになった。確かに、チームを組まなければできない仕事があり、チームの中ではじめて開花し活かされる才能というものはあるだろう。しかし、いかなる繋がりも帰属も共同態も自己にとって本来的・本源的なものではない。
すべての繋がりや伴侶や仲間や帰属や共同性が絶たれ消し飛んでしまう孤独の中でしか〈絶対〉に相対することはできない。その〈絶対〉においてしか、ほんとうに他なるものと出会うこともできない。したがって、己に出会うこともできない。