当分ほとんど哲学書は読めない状態に今はあるけれど、哲学にまったく触れずにいると、いわば精神が「脱水状態」に陥り、下手をすると精神の「熱中症」にかからないとも限らないので、ちょうど身体がそうならないために水分をこまめに補給するように、ここ数日、数頁ずつ読んでいる本がある。
Hourya Benis Sinaceur, Cavaillès, Les Belles Lettres, coll. « Figures de savoir », 2013 がそれである。著者は、近現代の数学および科学の哲学の歴史的研究のフランスにおける第一人者である。この一冊が含まれるモノグラフィー叢書 « Figures de savoir » は、対象とする哲学者・数学者・科学者たちの学説について、そのスペシャリストの一人が非専門家にもわかるように比較的平易に紹介した良質な入門書シリーズである。
この本を読むことで、私はカヴァイエスの数学的哲学の基本を理解したいと思っている。しかし、上にも述べたように、速く読み進めることが目的ではなく、知的水分を補給するために読んでいるので、気になるところは繰り返し読んでいる。だから、なかなか前に進まない。が、今はそれでいい。
昨日来繰り返し読んでいるのは、カヴァイエスにおけるスピノザ哲学の刻印について述べられているところなのだが、今日は特に自由について述べられた頁を何度も読み返した。そこから「数滴」引用する。
La liberté c’est la libération de l’illusion de liberté engendrée et alimentée par l’ignorance de la nécessité. Être libre c’est d’abord connaître la nécessité. La libération est un effort d’autonomie, une réduction d’hétéronomie (op. cit., p. 59).
自由とは、必然性を知らぬがゆえに生まれ増大した自由の幻想からの「解放」である。自由であるとは、まず、必然性を知ることである。解放とは、自律の努力であり、他律の減少である。