野口雅弘訳のマックス・ウェーバー『仕事としての学問 仕事としての政治』(講談社学術文庫)が出版されたのはもう一年前のことだから、新訳として話題にするのは今更の感があるが、この訳は、古典はそれが読まれる時代に応じて何度も訳し直されるに値することを、熟慮の上で選択された「軽い」文体で見事に実証している。
例えば、「就職はサイコロ賭博」と見出しが付された三段落の中の一節を読んでみよう。
私講師がいつか正規の教授や、ましてや研究所の管理職のポストに就くことができるどうか。これはまったくサイコロ賭博のような話です。助手であれば、なおさらです。たしかに、偶然だけが支配しているわけではありません。しかし、尋常でないレベルで偶然が支配しています。
ここで「サイコロ賭博」と訳されている原語は « Hazard » である。この訳語の選択の理由は訳注で説明されている。
“Hazard” は「僥倖」と訳されてきたが、もともとはアラビア語の“az-zahr”(サイコロ)に由来し、そこから転じて「危険」、「運」、「賭けごと」という意味をもつ。「ハザードマップ」というときの「ハザード」は、予測される災害を指し、少なくともプラスの意味ではない。「仕事としての政治」34段落にも「リスクをともなった冒険」という意味で、この語が出てくる。以上を考慮して、本書ではすべて「サイコロ賭博」と訳す。
ちなみに、仏訳は « hasard » となっており、同じ語源を共有している語をそのまま用いている。つまり、この語に限って言えば、訳す必要さえない。それを大胆にも「サイコロ賭博」と訳した効果は大きい。
この講演のキーワードである「ベルーフ(Beruf)」には、ピタリと対応するフランス語がない。だから2003年刊行の新訳(Le savant et le politique, préface, traduction et notes de Catherine Colliot-Thélène, La Découverte/Poche)では « la profession et la vocation » と二語を充て、原語の両義を顕在化させている。
野口訳は、既存の訳で使われている「職業」という言葉を避け、かといって、「召命」としてしまうと、あまりにも宗教的なニュアンスが強く出過ぎて不自然になるから、やはり避け、基本的に「事」に「仕」えるという意味での「仕事」を訳語として採用することで「天職」という含意を残そうとしている。
このような「軽さ」を旨とした訳語と文体によって、つい最近行われた講演記録であるかのような臨場感とともにこの古典を読むことができる。そのおかげで、「就職はサイコロ賭博」と題された段落を読んだだけでも、1917年の講演が今もなおアクチュアリティを持っていることがよくわかる。
細心の熟慮に基づいた大胆な訳語の選択と淀みない口語体の文体の練磨に、遅まきながら、喝采を送りたい。