内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「きよし」「さやけし」「きらきらし」― 陰翳の美学のはじまり以前の日本人の美の基準

2019-07-14 18:24:54 | 哲学

 『陰翳礼讃』には、谷崎自身の経験に基づいた繊細微妙な感覚美の見事な描写と文明論として性急とも強引とも見えかねない一般的断定とが交錯して現れる。前者を読むことは、その名人芸を歎賞するという文芸的な美の体験であり、愉悦の時間でもあるが、後者は、美についての瞑想へと読むものを誘い込む挑発性に富んでいる。
 例えば、日本座敷の美を論じている節で谷崎はこう述べている。

美というものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。

 谷崎は、自らの直観に基づいた見方を示しているだけで、何もそれを学術的に論証しようとしているわけではないのだから、美学、建築史、あるいは美術史等の観点からこの見方が支持されうるかどうかは、ここで問われるべきことではないかも知れない。しかし、私はここを読んでしばらく立ち止まらざるを得なかった。
 単に暗い部屋に住むことを余儀なくされただけで美の発見が約束されるわけではない。陰翳のうちに美を発見するには、その発見以前に美の経験がなくてはならず、且つそれまでの生活を変化させる現実的契機がなくては、陰翳の美をそれとして洗練させていくこともできない。
 それに、われわれの先祖とは、いつの時代のどの地域のどの階級の先祖を指すのか。こんな問いは谷崎にはどうでもよいことだったかも知れない。たとえそうだとしても、陰翳が美的価値として建築・絵画・彫刻・芸能において最重要視されるようになるのはいつの時代からなのか、はっきりさせておきたいと私は思う。
 この問いへの答えを探すための手がかりの一つとして『現古辞典』(河出文庫、2018年)を引いてみた。「うつくしい」の項には、「うまし」「うるはし」からはじまって多数の古語が挙げられているが、その列挙の後の補注に目が止まった。

奈良時代では[…]、「きよし」は川・水・川音・月光などに使われ、澄みきって汚れのない清浄な美しさを表し、「さやけし」は、同じような対象に使われるが、すがすがしさを感じさせるような対象の明るくくっきりした美しさを表す。「きらきらし」は容姿の整っていて端正な美しさを表す。「うつくし」はまだ美を表す語ではなく、優位の立場の者が抱く肉親的ないし肉体的な愛情を表すものであった。これらの言葉から上代の美の基準が鮮明・透明・明瞭といった観点にあることが分かる。

 とすれば、上代は、陰翳の美とは無縁、むしろそれと対極的な美意識が優位であったということになる。中古については、特に手がかりとなる記述を見いだせなかったが、もし「陰翳」という概念が「幽玄」や「さび」と類縁性を有しているとすれば、陰翳の美学のはじまりは、中世に求めるのが穏当であるということになる。