内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

母語から遠く離れて、無弦のヴィオラやハープのように ― 故国追放の苦しみについて

2019-07-18 23:59:59 | 読游摘録

 『転身物語 Metamorphoses 』(あるいは『変身物語』)で有名な古代ローマの詩人オウィディウス(前43年-後18年)は、詩人としての名声を獲得し円熟期に入っていた後8年、時の皇帝アウグストゥス帝から、突然、黒海沿岸のトミス(現ルーマニアのコンスタンツァ)へ追放を命じられてしまう。その理由は明らかではない。首都ローマでの華やかな社交と安楽に浸ってきた詩人にとって、追放地での生活は悲惨であった。幾度となく繰り返された愁訴嘆願の甲斐もなく、10年をこの地で過ごし、不遇のうちに没した。この間、故国の妻、知己、有力者などに宛てて書かれた書簡体の詩が『悲しみの歌 Tristia 』(あるいは『歎きの歌』)である。
 ジャン・スタロバンスキーは、L’encre de la mélancolie(Éditions du Seuil, 2012)の中の « La leçon de la nostalgie » と題された章で、「ノスタルジー」という言葉が生まれる遥か以前に、この言葉の定義によく当てはまる経験が表現されていた例としてこの作品を取り上げている(op. cit., p. 286-290)。
 オウィディウスは、母語であるラテン語がまったく通じない異邦にあって、まるで「猿轡を噛まされた」ようだと苦しむ。「しばしばあることだが、何か言おうとすると、恥ずかしいことに、言葉が出てこない。私は私の言語を忘れてしまった。」英語の tongue やフランス語の langue には「言語」と「舌」という意味があるように、言語を忘れるということは、まさに舌が思うように動かなくなることでもある。
シェイクスピアの『リチャード二世』の中で、ノーフォーク公爵モーブレイは、国外追放の宣告を受けるやいなや、こう感じる。

Now my tongue’s use is to me no more / Than an unstring’d viol or harp

 もはや私の舌は言葉の歌を奏でることはない。今や私の母語は弦の張ってないヴィオラやハープのように何の役にも立たない。
 しかし、オウィディウスは抵抗する。自分の言語をそれがまったく通じない異邦にあっても話し続ける。「誰も私の詩を読める者はいない。誰の耳もラテン語を解さない。だから、私一人のために私は書く(それ以外にどうしろというのか)、私一人に向かって私は自分の詩を読む。」スタロバンスキーは、追放の身であることと自己に宛てて書くこと Sibi scribere との繋がりを強調する。