内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

陰翳は影ではない ― 翳りと闇の諧調の美学

2019-07-13 23:59:59 | 哲学

 『陰翳礼讃』は多くの外国語に訳されている。「陰翳」というニュアンスに富んだそれ自体が美しい言葉を、欧米語訳では、「影」を意味する shadow(英)、ombre(仏)、Schatten(独)、sombra(西)に置き換えている。ピタリとくる同意語がないのだから、これはもちろん致し方のないことだ。しかし、欧米語で「影」に相当する語はいずれも、光の進行を妨げるものによって地面・壁面等に投射されたそのものの暗い形というのが原義であり、それ自体は美学的価値ではありえない。谷崎のいう陰翳がただの影ではないことは本文を読めば明らかであるから、訳者たちは、本文に出てくる「陰翳」には、それぞれ文脈に応じて様々な言葉を充てて訳す工夫をしている。
 谷崎自身は、『陰翳礼讃』の本文の中で「陰翳」という言葉を二十二回使っている。「影」という語は一度も使っていない。この漢字を含む「影響」が二回、「幻影」と「灯影」がそれぞれ一回のみ。「蔭」という語は十六回使用されているが、光と影との対比における「影」という意味ではなく、光の差さない場所、目立たぬ場所、物陰等の意味で使われている。
 「陰翳」という語がどう訳されているか見てみようと、手元にある新旧二つの仏訳、René Sieffert 訳 Éloge de l’ombre (POF, 1978 ; Verdier 2011) と Ryoko Sekiguchi & Patrick Honnoré 共訳 Louange de l’ombre (Piquier, 2017) と原文を照らし合わせみた。
 米国映画とフランス映画・ドイツ映画とを比較して「陰翳や、色調の具合が違っている」と谷崎が言っているところでは、「陰翳」はそれぞれ « les jeux d’ombres » « les nuances d’ombre » となっている。「陶器には漆器のような陰翳がなく、深みがない」では、 « les qualités d’ombre » « la qualité d’ombre »。たまり醤油について「あのねっとりとしたつやのある汁がいかに陰翳に富み、闇と調和することか」と称賛しているところでは、 « cette sauce gluante et luisante gagne beaucoup à être vue dans l’ombre » « richesse de clair-obscur »。「われわれの料理が常に陰翳を基調とし、闇というものと切っても切れない関係にあることを知るのである」というところは、 « notre cuisine s’accorde avec l’ombre, […] entre elle est l’obscurité il existe des liens indestructibles » « notre cuisine a toujours reposé sur le clair-obscur, a toujours été indéfectiblement liée à l’ombre » となっている。
 この最後の箇所の二つの仏訳の原文からの乖離と両者相互の乖離はとても示唆的である。陰翳は、光と対立するものとしての影ではない。闇もまた、光と対立するのではなく、陰翳の背景となり、それに奥行きを与えつつ、空間全体に調和を与える、いわば見えない場所のようなものだ。光と影(あるいは闇)の対立を基軸とした美学と翳りの諧調とその無限変奏に価値を置く美学との違いが、まさに翻訳の困難さゆえに、ここに鮮やかに現れている。