内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「ゲシュタルト崩壊」、あるいは世界内存在にとって本源的なノスタルジー

2019-07-19 23:59:59 | 哲学

 ホフマンスタールは、『チャンドス卿の手紙』の中で、手紙の書き手であるチャンドス卿自身の経験として、現実の自明性が崩壊する精神の危機をこう叙述している。

私にはもう、ものごとを単純化する習慣の目で見ることができなくなってしまった。すべてが解体して部分に分かれ、その部分が解体して、さらに部分に分かれて、ひとつの概念ではなにひとつカバーできなくなったのです。(光文社古典新訳文庫、丘沢静也訳)

 同様な精神の危機をホフマンスタール自身が経験したことはその書簡から推定できる。このような状態から逃れようよして、チャンドス卿は、古典古代の世界に救いを求める。プラトンは、神話的イメージに富んでいて危険だとの理由で避け、セネカとキケロに特に頼ろうとした。概念たちが限定され整理されているので、それらの生み出すハーモニーが精神の健康を取り戻させてくれるのではないかと期待したのである。ところが、その結果として、さらに深刻な精神の危機に見舞われることになる。

たしかに私は、その概念たちを理解することができました。黄金のボールを吹き上げるみごとな噴水のように、その概念たちは私の目の前で、すばらしい関係ゲームを展開してくれました。私は概念たちのまわりに漂って、概念たちがやっているゲームを見ることができました。しかしながら、概念は自分たちだけでゲームをやっていたのです。私の思考のもっとも深いところにある人格的なことは、概念たちの輪舞から排除されたままでした。概念たちのあいだにいると、恐ろしいほど孤独を感じました。目のない彫像ばかりが立っている庭園に閉じ込められているような気分でした。私はまた外へ逃げ出したのです。(同訳)

 かつては「一種の持続した陶酔状態にあって、存在全体が大いなる統一のように見えていた」し、「あらゆる自然に、自分自身を感じていた。」「すべてが比喩であり、どのような被造物もほかの被造物に至る鍵である」と予感してもいた。ところが、そのような状態が失われてしまう。すると、すべてのものがよそよそしく、すべてが連関していたはずの世界から自分が疎外され、世界のただ中にあって、その世界から追放されたかのような孤独に襲われる。
 極稀に、自分の意志とは無関係に、突然、日常的な取るに足りない対象が崇高で感動的な相貌を帯びることがあるにはある。しかし、どんな言葉も貧しすぎて、その相貌を表現することができない。
 『チャンドス卿の手紙』に描出された「ゲシュタルト崩壊」という精神の危機は、世界内存在にとっての本源的なノスタルジーをその起因としていると思われる。