内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

文学・哲学・歴史を横断し、古代と現代の間を遊行する鵺のテツガク

2019-07-02 12:12:40 | 哲学

 職業的身分からすれば、私の本業はストラスブール大学言語学部日本学科の教育研究員であるから、その枠外での哲学研究は、いわば副業である。日本の大学の哲学科での集中講義もその副業の一部ということになる。研究者としても、どこかの哲学会に属しているわけでもなく、そういうことにはそもそもあまり関心がない。哲学関係の学会誌に論文が掲載されたこともない。つまり、アマチュアである。文学についても同様であり、研究者ではない。せいぜい文学老年である。
 「じゃあ、何なの?」ということになるが、まあ鵺みたいなものである。鵺とは、日本国語大辞典によると、第一義は、虎鶫(とらつぐみ)の異名、第二義は、「源頼政が紫宸殿の上から射落としたという怪鳥。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎に似、声は虎鶫に似るという」、そして、そこからの転義としての第三義が、「どちらともつかないあやしげなもの。正体がはっきりしない人物・事物やあいまいな態度にいう」となっており、まさにこれである。これは卑下でも開き直りでもなく、事実そうなのだから仕方ない。今さら自分の所属をはっきりさせたところでどうなるものでもない。このまま行くしかなかろう。
 それに、鵺本人にとっては、文学も歴史も哲学も相互に繋がり合っている。古今東西あちこち飛び回るのがその習性だ。だから、支離滅裂なことをやっているつもりはない。これはこれで一つの実存様態なのだと自負している(もちろんちっぽけではあるが)。日本思想史における積極的無常観の起源の探究と西田とミッシェル・アンリとを対質させる現代哲学的関心とは、無関係どころか、鵺のテツガクにおいて相補的な関係にある。今年の前半は、この相補性が頓に強化・拡大され、と同時に深化しつつあり、その深化の過程で発見された新たな問題群の輪郭が明確になりつつある。
 ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ。ヤマトの鵺は自由に時空を遊行する。