今日は、集中講義の前に国際部のスタッフとの会合があったり、学長から突然ちょっと会いたいから来てほしいと連絡が入り、演習の合間に学長室に面会に行ったり、演習が終わり、後片付けをしていたら、この三月に短期研究者招聘でストラスブールにいらした先生が挨拶に来てくれたりと、計八名の方々にお目にかかり、慌ただしくも、それぞれに面白くお話しできたのは幸いであった。私は、もともと人付き合いのよいほうではないだけに、いささか遅きに失したとはいえ、あれこれ繋がりが拡がるのは悪いことではないと思った。
演習そのものは、難所につぐ難所で、学生たちもしんどかったと思う。西田とメーヌ・ド・ビランとの比較研究は、博論の五つの章の中でももっとも自信があり、博論製作中も指導教授から最も高く評価された章なのだが、十六年ぶりに読み直してみると、粗も隙も目立ち、学生たちが難儀したのも無理はないと申し訳なく思った。演習後に学生たちが送ってきてくれた感想を読んでも、いまだ腑に落ちないところが記されてあり、明日の演習ではまずそれに応答することから始める。
四時間半も根を詰めて難解なテキストに向き合うのは、それだけでも楽なことではないから、途中、息抜きとして、ときどき脱線する。そのための話題には事欠かない。そんな雑談の中にふと本題についてヒントが見つかったりもする。
そんなこんなで、明後日の最終日に向けて、少しずつメインテーマの souffrance の哲学的意味へと、酷暑に負けず、坂道を上りつつある。