明日午後の博士論文公開審査のための講評をほぼ書き終えた。公開審査中は口頭で講評を読み上げる。その中に質問もすべて組み込んである。多少のアドリブはその場の流れで入るだろうが、およそ二十分に収まるだろう。この講評は、最終審査レポートを執筆する審査員長に後日送るので、かなり念を入れて執筆する。
審査員の質問に対して博論提出者は答えることを求められるが、すべての質問に答えなくてはいけないわけではない。なぜなら、審査員はすべての質問にその場で解答することを求めているわけでは必ずしもなく、後にも先にも一回きりのこの機会に、審査される側のこれからのことを考えて質問する場合もあるからだ。
私の用意した質問は三つだけ。ただし、いずれもかなり重要な問題点を突いているので、簡単には答えられないはずである。それらの質問への解答が得られた後、一つだけ批判的なコメントを加える。それは博論執筆者による新造語に関するもので、それが日本語母語者としてはとても受け入れがたい造語なのである。本人は自分の新造語の奇妙さをいったいどこまで自覚しているのか、ちょっと疑われる。
明日は、五人の審査員がそれぞれ講評を述べ質問をし、質問に対して博論執筆者が応答するということが順に繰り返されるが、これだけでも優に二時間はかかるだろう。時には、審査員と博論提出者との間で、あるいは審査員同士の間で議論が白熱することもある。しかし、最近の傾向として、あまり長時間にならないように配慮されるようになった。審査員の中には、多数の博論審査をかかえて、多忙をきわめている教授たちも多く、それらの人たちの負担が過重にならないようにとの配慮からだろう。
コロナ禍以前は、どうしてもやむを得ない事情がある場合を除いて、審査員は審査会場に一堂に会して審査が行われるのが原則であったが、昨年からテレビ会議を使った審査が主流になってしまった。昨年十一月に審査員として関わったブリュッセル自由大学での博論審査もそうだった。審査員としては、移動の必要がなく、それだけ拘束時間も少なくて済むのはありがたいが、臨席者もいる審査会場で行う審査と違って、やはり味気ないものである。審査後の祝賀パーティーも当然ない。
明朝に最終チェックすることにして、今日はもう寝る。