内的自己対話-川の畔のささめごと

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角川ソフィア文庫の近刊から(三)― 『保元物語・平治物語』(ビギナーズ・クラシックス 日本の古典)

2021-04-06 17:00:16 | 読游摘録

 本書は、編者の日下力氏がそれぞれ二〇一五年と翌二〇一六年に角川ソフィア文庫として刊行した『保元物語』と『平治物語』の全訳注版から代表的な部分を抜き出し、シリーズの趣旨に応じて編集したダイジェスト版である。
 全訳注版が研究者や古典文学専攻の学生を主な読者としているとすれば、こちらのダイジェスト版は、古典に関心のある高校生や大学生や一般向けの作りになっている。それぞれの作品の歴史的背景と物語の世界を紹介した上で、それぞれ十四箇所の読みどころが、現代語訳、原文、解説の順で紹介されている。節と節の合間に、さらに立体的な作品理解の助けとして、十四のコラムが散りばめられている。文法のことなど気にせずに、とにかく作品の世界に触れてみたい初心者のためによく配慮された構成になっている。つまり、このシリーズのコンセプトとよく合致している。
 「ビギナーズ・クラシックス日本の古典シリーズ」は、現在刊行されている三十六冊中三十五冊電子書籍版持っており(ないのは『古事談』だけだが、これもいずれ買うだろう)、紙版も所有している作品が十冊ほどある。今はもう担当していないが、かつて担当していた古典の授業ではよくお世話になった。深い理解のためには文法的な解説は避けて通れないのはもちろんだが、はじめて作品世界に触れさせることが目的である場合、まず現代語訳で作品世界の概要を掴み、その上で原文に直に触れ、言葉の響きをそのまま感じ取らせたほうが作品世界の中に入りやすいのではないかと私は思っている。
 『保元物語』『平治物語』と『平家物語』とには重なる登場人物も多いが、それらの人物がどのように描出されているか、読み比べて見るもの面白い。
 『平治物語』の中からは、夫源義朝を討たれた常葉が、数えでそれぞれ八歳、六歳、二歳の三人の幼子(この末っ子が牛若、つまり後の義経)を連れて雪の中都落ちしてゆく哀れな姿を語った場面が取られている。その場面から、寒さと痛みで泣き止まない八歳の長男の耳元で常葉がささやく科白とその続きを引く。

「など、おのれらは、ことわりおば知らぬぞ。ここは敵のあたり、六波羅といふ所ぞかし。泣けば人にも怪しまれ、左馬頭が子どもとて捕らわれ、首ばし切らるな。命惜しくは、な泣きそ。腹の内にある時も、はかばかしき人の子は、母の言ふことをばきくとこそ聞け。ましておのれらは、七つ八つになるぞかし。などかこれほどのことを、聞き知らざるべき」
と口説き泣けば、八つ子はいま少しおとなしければ、母のいさめ言を聞きてのちは、涙は同じ涙にて、声立つばかりはなかざりけり。六つ子はもとの心に倒れ伏し、
「寒や、冷たや」
と泣き悲しむ。常葉、二歳のみどり子を懐に抱きたれば、六つ子を抱くべきやうなし。手を取り引きて歩み行く。