「近代の超克」を主題としつつ太平洋戦争期を近代日本精神史の一齣として取り上げる来週以降の授業のための下準備として、つまり授業で言及するかどうかは別として、いわばその下味あるいは隠し味に使おうかと、ドナルド・キーンの『日本人の戦争 作家の日記を読む』(文芸春秋 文春学藝ライブラリー 2020年、初版単行本 2009年、文春文庫 2011年。本書の底本はこの文庫版)を読んでいる。
戦争がそれぞれの人の日常においてどう生きられたかを教科書で知ることはできない。出来事を物語ることを主とした歴史書によっても、客観的記述を旨とする学術書からも、対象とされている時代の人々のその当時の日々の心事・心情、喜怒哀楽を推し量ることはとても難しい。無名の人々がどのようにその時代を生き、日々何を感じていたか、そこにはまったく示されていないからだ。
キーンさん(まったく一面識もありませんでしたが、敬愛の念を込めてこう呼ばせていただく僭越をお許しください)が日記に注目したのも、その日記を記した人の「心からの叫び」をその中に聴き取ろうとしてのことである。「数行でもいいから記憶に残る一節を見つけるために、すべての日記を読むことが出来たらいい」とまでキーンさんは思うが、それは彼にとってだけでなく誰にとっても不可能な仕事だ。戦争中にも、無数の日記が無名の人たちによってつけられていた。しかし、その多くは、誰の目に触れることもなく処分され、もはやその中身を知る由もない。そこでキーンさんがその代わりに選んだのは、比較的数が少ない著名な作家たちの日記について書くことだった。
本書に頻繁に引用される著作家たちのすべてが今日でもよく読まれている、あるいは少なくともその名がよく知られているとは限らない。私自身、取り上げられている著作家たちの中でその作品や文章を読んだことがあるのは、永井荷風、斎藤茂吉、内田百閒、渡辺一夫、伊藤整、高見順、吉田健一くらいで、山田風太郎は名前のみで作品についてはまるで知らない。清沢洌もいずれかの本で名前を見かけたことがあるといった程度で、その文章についてはまるで知るところがなかった。
荷風の日記が抜群に面白いのは言うまでもないが、伊藤整の日記の中のあからさまに好戦的で激越なまでに反英米的な記述には驚かされたし、高見順の日記に示された時代の変化に対しての躊躇いと繊細なバランス感覚にも興味をもった。しかし、本書を読むまではまるで知るところのなかった小説家山田風太郎とジャーナリスト清沢烈の日記に特に惹かれた。今日の記事では清沢についてのみ一言記す。
戦中、重臣と閣僚の間でさえ誰も真実を話さない以上、自分が真実を話さなければならないと覚悟を決めた清沢は、「日本には正直に政治を語る機会は全くないのである」(『暗黒日記』岩波文庫 一九五頁。昭和十九年六月二十八日の項)と記す。そして、昭和二十年元旦にはこう記している。
日本が、どうぞして健全に進歩するように――それが心から願望される。この国に生まれ、この国に死に、子々孫々もまた同じ運命を辿るのだ。いままでのように、蛮力が国家を偉大にするというような考え方を捨て、明智のみがこの国を救うものであることをこの国民が覚るように――。「仇討ち思想」が、国民の再起の動力になるようではこの国民に見込みはない。
清沢は敗戦の三月ほど前の五月二十一日に急性肺炎で没する。享年五十五歳。その早すぎる死を惜しまずにはいられない。しかし、「戦中日記」は、戦時下にあっても言論の自由の大切さを見失うことなく、批判的精神を維持し続けた稀有な言論人の「作品」として、今もなおその「アクチュアリティ」を失っていない。そのことに私は強い感銘を受けた。