内的自己対話-川の畔のささめごと

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角川ソフィア文庫の近刊から(四)― 吉海直人『源氏物語入門〈桐壷巻〉を読む』

2021-04-07 23:59:59 | 読游摘録

 本書は二〇〇九年四月に翰林書房から刊行された『源氏物語〈桐壷巻〉を読む』を大幅に改稿し、文庫化したものである。旧版の単なる再版ではない。
 巷間にあまた出回っている源氏物語入門書とは違って、単にあらすじを追うのではなく、「言葉の一つひとつに注目して」読む試みである。できるだけ歴史資料を提示し、物語とつきあわせるようにしてある。そうすることによって、物語の背景や準拠を求めるだけではなく、「この物語がいかに歴史離れしているかを実証し」ようとする試みでもある(「はじめに」より)。
 「原文を読むということ」と題された序論的な部分には、「源氏物語は、本当に知りたいことは書いてくれない作品である。だから研究者は、書かれている本文から言葉や表現の裏を読み、さらにその行間を読むことで、ようやく見えてくるものを発見する作業を何十年もかけて行っている」とあり、その研究の蓄積の成果の一部を読者に伝えることも本書の目的である。「原文を読むことが現代語訳を読むのとどれほど違うのか」実感してほしいというのが著者の願いである。
 本書の本体である注釈編では、桐壷巻本文が七〇章に分けられ、そのそれぞれの部分に関する注釈書や論文を踏まえながら、著者の読み方が提示されている。
 あまりにも有名な冒頭の「いづれの御時にか」について、その特異性を説明する箇所の出だしを読んでみよう。
 物語の伝統的な冒頭は、「昔」あるいは「今は昔」であり、文末は必ず「けり」(伝承的過去)が用いられていた。この「昔」は、特定のある個人の過去でもある特定の時代を指しているのでもなく、「時間と空間を越えて、日常空間から物語の幻想世界へと誘うキーワード、あるいは語り手と聞き手の暗黙の約束事(了解事項)といった方がわかりやすいだろう。[中略]だからこそ読者は、この語り出しによって、安心して物語世界にのめり込むことができたのだ。」
 「ところが『源氏物語』はその伝統的パターンを用いず、「どの帝の御代であったであろうか」と、歴史的な天皇の御代から語り出している。おそらく当時(平安時代)の読者は、これを聞いて非常に驚き、不安に思ったことだろう。加えて「いづれ」(疑問)という設定によって、一種の〈謎解き〉の興味も付与されている。物語が展開されるなかで、これは光孝帝なのか醍醐帝なのか、それとも一条帝をモデルにしているのかなど、さまざまに想像することになる。」
 「これが物語における新しい試み(挑戦)であることを認識しておきたい。[中略]物語文学史において『源氏物語』は明らかに異端児(突然変異)であった。
 ここまで読んだだけでも続きが読みたくなりませんか。