内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

角川ソフィア文庫の近刊から(五)― 小松和彦『聖地と日本人』

2021-04-08 08:36:09 | 読游摘録

 本書は二〇〇六年四月に刊行された『誰も知らなかった京都聖地案内 京都人が能楽にこめた秘密とは』(光文社)を改題し、文庫化したものである。文庫化にあたり、「日高川」は、雑誌『観世』の連載を再構成、加筆修正して収録されたものと巻末にある。
 妖怪・異界研究の第一人者による「能のなかの異界」探求の一書である。著者が本書で目指したのは、さまざまな貌をもつ能楽を「京都人のコスモロジーの表出媒体として、とくにトポス(場所性)論の素材として理解し、そこに描かれている、長い伝統のある聖なる場所を取り上げて、現代人に失われかけているその場所をめぐる感性の記憶を少しでも取り戻すこと」である(「あとがき」より)。
 本書で取り上げられた「聖地・異界」は、「中世京都人がこの日本列島のなかに見出した「地上的な聖地・異界」もしくは「異界の入り口」であって、「本当の異界」はその向こう側に想定されていた。[中略]それ(終点)があることで、「俗世」(始点)とその向こうにある深々とした「奥」が構築されたのである。それを失ったならば、この世界は、平板で厚みのない「俗世」だけの世界になり下がり、私たちは没場所性の空間を生きなければならない。」(「あとがき」より)
 「異界研究が進み、今では信仰上の異界と人間の想像力が生み出したフィクションとしての異界を区別して考えるようになったが、日本人はそのいずれであれ、いつでも「異界」という領域、言い換えれば「別世界」を想定し、そこにさまざまな意味や役割を託してきた。」(「角川ソフィア文庫版あとがき」より)
 異界研究といえば、フランスでは、ミッシェル・フーコーが一九六〇年代末に hétérotopie を提唱したが、この点については、このブログで二〇一五年一〇月一九日から二六日まで取り上げている。世界の異界の比較研究というのはとても魅力的なテーマであるには違いない。