内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

懐かしき本との予期せぬ再会 ―「残された人生で君はどんなテーマに取り組むのか」

2021-04-27 23:59:48 | 哲学

 今日、ちょっと予定外の出費があった。衝動買いではない、と言いたい。十五分ほど、商品を手にとって十分に品質を確かめた上で、さらに(自己)正当化の理由を心のなかで用意してからの(って誰に対して申し開きをする必要もないのですが)購入である。75ユーロ(一万円弱)の出費であった。
 「これも何かの縁」という大変使い勝手のいい理由で、五冊の古本をカテドラル近くの小さな広場に毎週火木に立つ露天の古本市で買ったのである。ここ数年なかったことである。特に昨年からはめっきり街に出る機会も減り、あってもさっさと用を済ますためだけで、古本市を冷やかすこともなく、いつも素通りしていた。
 昼前、FNACに届いていた注文書籍を取りに徒歩で出かけた。片道四十分ほどかかる。その三冊の書籍をカウンターで受け取った後、また歩いてまっすぐ帰宅するつもりだった。ところが、ふと、どうした風の吹き回しか、あるいは悪魔の囁きか、いやいや、天使のお導き、と言うべきだろう、少し風は冷たいがせっかくの好天、少し遠回りになるが、カテドラル前の広場を通り抜け、リル川沿いの遊歩道を歩いて、大学宮殿正面を右手に見ながらブラブラ歩いて帰ろうかという気になった。
 FNAC が入っているメゾン・ルージュという建物から出て、クレベール広場を横切り、グーテンベルク広場へと向かう、以前は人通りが絶えない賑やかな通りだったが、昨年来人通りも疎らとなってしまった広い歩行者専用路、大アーケード通りを前進し、右手前方にグーテンベルク広場が見える角を左に折れると、その角にいつもの古本市が立っているのが見える。そのまま立ち止まらずに通り過ぎるつもりだった。
 ところが、パラソル下の平積み用のテーブルのとっつきに表紙を上向きに重ねてある数冊の本の表紙が目をかすめた。Georges Gusdorf だ。しかもその表紙の絵に見覚えがある。Les Sciences humaines et la pensée occidentale という全十三巻の途方もない記念碑的大作の中の一冊、第九巻 Fondements du savoir romantique だ。その表紙に吸い寄せられるように近づき、まず第九巻を手に取り、ついでその脇と下に置かれていた数冊を手にとって状態を確かめた。すべて初版、糸かがり綴じである。一九八〇年代前半の出版であるから表紙の経年劣化は否めないが、あまり紐解かれた様子はなく、ページの折れ・書き込み等もなく、本文はとても良好な状態だ。上掲第九巻以外の四冊は以下の通り。第六巻 L’avènement des sciences humaines au siècle des lumières、第十巻 Du néant à Dieux dans le savoir romantique、第十一巻 L’homme romantique、第十二巻 Le savoir romantique de la nature
 第九巻・第十巻、第十一巻・第十二巻は後にそれぞれ一巻にまとめられ、Le romantisme I, II としておなじ出版社 Payot から刊行されている。私が手元に持っているのはこの版で、博論執筆の際にはよく参照したので、とても懐かしい著者であり著作なのだ。この二冊についてはこの記事で話題にした。ただ、この版は糊付け製本で、数回同じ頁を開いただけで背が割れ、頁がばらばらになってしまう。第一巻など、カルティエ・ラタンの製本屋に無理を言って再度糊付けしてもらったが、それでも壊れそうになり、同じ本を買い直したくらいである。それぞれ九百頁、七百頁の大著である。もう少し丁寧に製本してくれてもよいではないかと不満だった。
 だから、第六巻を除いた四冊は、この二巻本と中身はまったく同じなのだ。しかも、上掲の全十三巻は、こちらのサイトで全巻無料公開されており、ダウンロードも自由である。つまり、ただ参照したり引用したりするだけなら、買う必要などなかった本なのである。
 それでもこの四冊の購入に踏み切ったのは(ちょっと大袈裟でしょうか)、「これも何かの縁」という以上の思いがあったからである。ギュスドルフは、一九四八年にストラスブール大学に哲学教授として赴任し、一九六八年のいわゆる五月革命のときにはカナダのケベックにあるラヴァル大学に退避していたが、翌年またストラスブールに戻り、一九七四年の定年まで哲学教授として教鞭を取りながら、次々と著作を発表していった。そのストラスブール大学で哲学の博士号を取得し、二〇一四年からはそこで自分も教鞭を取っているということに縁を感じるだけではなく、ギュスドルフが哲学研究者としては初めて切り開いたと言っていい l’autobiographie についての研究は今も私の研究意欲を刺激して止まないということに限りない学恩を感じてもいるのである。
 「残された人生で君はどんなテーマに取り組むのか」― 眼前に積み上げられた五冊から今そう問われているように思わないではいられない。