明日の「上級日本語」の授業では、今日の記事のタイトルに掲げた二語を紹介する。「行く春」に思い至ったのは、晩春という言葉について先日授業中に質問を受けたことがきっかけになっている。この語を季語とした発句・俳句は数え切れないほどあるが、さてどれを紹介するかと大いに逡巡しているうちに一時間経ってしまった。授業の準備としては甚だ非効率的なのだが、迷っている当人はけっこうその時間を楽しんでおり、あまり時間が惜しいとは思っていない。
手元にある注釈書や辞書を何度も捲り直しながら、芭蕉か蕪村かでさんざん迷い、結局、芭蕉の二句にした。蕪村には火曜日の授業で「春雨」を紹介したときにすでに登場してもらっているということもあった。両句ともあまりにも有名であるからここに掲げるまでもないと思うが、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」と「行く春を近江の人とをしみける」の二句である。
手元にある八冊の古語辞典のいずれにも「行く春」の用例として両句とも収録されているだけでなく、注釈的な訳や解説・参考などが必ず付されている。そのすべてを読み比べて、授業で紹介する訳を決めた。選んだのは、久保田淳・室伏信助=編『全訳古語辞典』(角川書店 二〇〇二年)の訳である。二句のうちの前者の訳は、「春はもう行こうとしている。去り行く春の愁いは、無心な鳥や魚までが感じるとみえ、鳥は悲しげに鳴き、魚の目には涙があふれているようである。」となっている。
この訳の中に使われている「春の愁い」という言葉がまた美しい。「春愁」という漢語の響きも組み合わされた漢字の形姿も優艶にしてメランコリックである。この語も紹介することにした。となれば、大伴家持の春愁絶唱三首を紹介せねばなるまい。この三首については、老生がかなり熱を込めて書いた一連の記事(2018年3月8日~15日)がありますので、そちらをご笑覧いただければ幸甚です。
こんな風に美しい言葉の織物を少しずつ編んで学生たちに届けたいと思っております。