内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

たった一つだけでも「これが私の作品です」と言える仕事を残したい

2021-04-12 21:32:47 | 哲学

 先週土曜日、その前週金曜日に博論審査を受けた当人から、審査時の私の評言についての長い感謝メールが届きました。そこには、私には過分な言葉が綴られていました。そのメールの末尾に、度外れな長さを詫びると同時に、その長さが自分の感謝の気持ちを表していると受け取ってくれると嬉しいとありました。もちろんそれはメールを読めば誤解の余地なくわかることでした。すぐにこちらからも、審査委員に加われたことは光栄であることを伝える返事を送りました。その返事には、彼からの求めに応じて、私が気づいた誤記等の誤りの一覧表も添付しました。
 彼の博論を読みながら、そして今回の一連のメールのやりとりをしながら、私にも、甚だ遅まきながら、一つはっきりしてきたことがありました。それは、一言で言えば、もう残り時間は少ないのだから、余計なことはすべて排除し、一つだけでも「これが私の仕事です」と言って差し出せるものを残すことに全精力を集中しよう、ということでした。その一つだけの仕事が何をテーマとするのか、それはもう私には明らかなのです。
 こういう決断の機会を与えられたことを本当にありがたく思っています。これまでは、何か頼まれると、相手の希望を「忖度」なんかしたりして、割りとあっさりと引き受けていましたが、もうそういう中途半端は止めることにしました。今後、余程のことがないかぎり、私にとって「本質的」でない依頼は一切断ります。こう決断する以前に引き受けたいくつかの仕事はこの夏が締め切りなので、それらについてはもちろん責任を果たします。
 大した能力もない老生ですから、何か一つ、「これが私の作品です」と言えそうなものを残すには、それ以外の仕事はすべて排除しなくてはなりません。器用にあれもこれもというわけにはいかないのです。とはいえ、宮仕えをする身分である以上最低限果たさなくてはならない業務はもちろんこれまで通りこなしていきます。
 これまで何年にも渡って、「なにやってんだか」とモヤモヤとしていた気持ちが今はすっきりとしています。できるとしたら、俺にはこれしかないかな、という覚悟と確信と高揚感とともに。