今日の午後二時から五時過ぎまで、予定通りパリ大学の博論審査がZOOMを使った遠隔で行われた。昨年十一月のブリュッセル自由大学の博論審査のときも同様だったが、審査を受ける本人、審査員、聴衆、皆それぞれの場所から参加するという、コロナ禍以前には考えられなかった方式が今やスタンダードとなりつつある。
まず、指導教授と審査員四人との間で審査員長と審査の順番を決めてから、審査を受ける博論提出者と聴衆を審査会場に入れた。聴衆は最初のうちは三十名を超えていた。最期まで残っていたのは二十人ほどだった。
審査そのものは、最初に博論提出者がする十五分間のプレゼンテーションの直前に肝心の本人からの音声が聞こえないという小さなトラブルがあったが、それが解決した後は滞りなく進んだ。まず、指導教授が論文完成までに至るプロセスと内容についての概要と講評を述べ、あとは、事前審査レポートを担当した教授、アムステルダム大学の教授、私、そして締めくくりは審査委員長という順番で進んだ。
最初に審査委員長が全員に時間厳守を求め、質疑が長くなりそうになると随時残り時間を警告したので、ほぼ予定通りの時間内に終了した。
指導教授から審査の際に聞いて驚いたのだが、今回の博論提出者はこれが三つ目の博士論文なのだという。前二回は相当量書いたのに結局本人が納得できず、提出に至らなかったのだそうだ。今回の博論には七年かかっているが、前二回にかけた年数を合わせると、博士号取得までに実に二十年かかっていることになる。そう言えば、私が最初に彼に会ったのは、確かアグレガシオンに合格したばかりで、まだ二十代前半だったはずだ。その後リセの準備学級の哲学教師になり、現在に至る。今日の審査にも勤務校の一室から臨んでいた。
準備学級の哲学教師の激務をこなしながら二十年間研究を継続することがどれだけ大変なことか、私でも想像できる。六百四十頁という大作はその長年の研鑽と蓄積の賜物だ。その論文の中に私の複数の研究論文が十数回引用されていること、審査に加われたことを私はとても光栄なことだと思っている。審査の際もそう彼に伝えた。
博論審査の直後には、立食形式の祝賀会を開くのが通例だが、それも遠隔では不可能だ。本人に直接祝福の言葉を伝えられないのが唯一の心残りだ。画面越しではあったが、心からの祝福の拍手を送り、退出ボタンをクリックした。