後期に入って学部三年生と宇野重規氏の『民主主義とは何か』を少しずつ読んでいる。「序 民主主義の危機」をいまだに読み終えていない。それは、この短い序章に盛り込まれている諸情報についての付加説明、重要概念についての解説、言及されているすべての参考文献の紹介を折り込みながら読んでいるので、本文を読んでいる時間に対してそれらに充当する時間が何倍にもなってしまうからである。
例えば、ポピュリズムを民主主義への脅威とのみ捉える一面的な見方を批判している水島治郎氏の『ポピュリズムとは何か』(中公新書 2017年)に言及されているから同書を紹介する。しかも、しかも、同書ではフランスのポピュリズムについてもかなり頁数が割かれているからそこも紹介する。「エレファント・カーブ」への言及があれば、その出典であるブランコ・ミラノヴィッチの『大不平等 エレファントカーブが予測する未来』の英語原典と仏訳とそれに付されたトマ・ピケティの解説を読む。フランシス・フクヤマの『政治の起源』(2011年)への言及があれば、同書を紹介し、その言及箇所に「説明責任 accountability」という概念が出てくるので、原典でそれが定義されている箇所を読む。さらには、この「説明責任」という概念がいつ日本に導入され、どのような経緯を経て今のように乱用されるようになったか見るために、井之上喬氏の『「説明責任」とは何か』(PHP新書 2009年)の一部を読む。マイケル・オズボーンとカール・フレイの研究(今後10年から20年の間にアメリカの労働の47%は汎用AIによって代替されるという内容の論文で、こちらから全文が無料でダウンロードできる)に一言触れられていれば、当該の論文を紹介する。ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』について一段落割いて紹介されていれば、その内容に該当する箇所を仏訳で読む。
こういった調子で、いわば網状に参照事項が増殖していくので、本文の読解は遅々たるものにならざるを得ない。しかし、言い換えれば、それだけのリファレンスがこの序章の背景にはあるということであり、それらを私たちも一つ一つ参照することで、問題の奥行きと広がりをよりよく把握することができるのだから、これはこれで一つの読書の方法であると思うし、学生たちにもそれを自分で実践してほしいと願っている。