内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「心得る」とはどういうことか ― 〈もの/こと〉のことなりのことわりをことわけること

2021-08-02 23:59:59 | 講義の余白から

 遠隔集中講義本演習第4日目。学生の一人の要望で、今日はいつもより一時限遅らせて、こちらの時間で9時半に開始した。日課のジョギングは早朝4時50分から6時半までに済ませておいた。15キロほど走った。今日は二コマとも一時間半を少し越えてしまった。前半は「五 空と時」を読む。『正法眼蔵』からの引用も多く、学生たちは難儀していた。禅仏教用語全般に不慣れな彼らには、それらの引用が何を言っているのかさっぱりわからない。それに、西谷の引用の仕方も親切とは言えない。本章は全体として議論が錯綜している。私にもうまく読み解けないところが多々あるが、この章でも、リアリゼーション(現成即會得)が議論の要であることに変わりはない。特に、『正法眼蔵』「生死」からの引用「生死すなはち涅槃とここえて……はじめて生死をはなるる分あり」について、この「こころえる」がリアリゼーションだと言っている箇所が注目される(『西谷啓治著作集』第十巻 200‐201頁)。
 後半は、昨晩学生が提出してくれたミニレポートの話題に応ずる形で、西谷を離れて、近現代日本における社会と個人の関係、現象学的還元と空の思想との接点、「〈もの/こと〉のことなりのことわりをことわけること」と私が定義する哲学の実践例などの話をした。