内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『セネカ、精神的教導と哲学の実践』(1)― 現代において哲学を実践するための非現代性

2015-11-12 17:27:09 | 読游摘録

 このブログでも再三取り上げているピエール・アドの « exercice spirituel » という概念の構想に決定的な影響を与えた一つの研究がある。それは、後にアドの二番目の妻となるドイツ人哲学研究者 Ilsetraut Hadot のセネカ研究である。セネカ研究史に画期をなすこの研究の成果は、1965年に博士論文 Seneca und die griechisch-römische Tradition der Seelenleitung として一つの完成を見、1969年に出版されている。それとほぼ時を同じくして、彼女はフランスに定住するが、以来、その研究の独創性を認めるフランス人研究者たちからフランス語訳の出版を強く勧められていた。ところが、そのための十分な時間の確保の困難さ、博士論文以後の自分の研究の進展、その他の諸般の事情で、その仏訳は、長いこと待望されながら、なかなか実現することがなかった。それがようやく昨年暮、Sénèque. Direction spirituelle et pratique de la philosophie というタイトルで Vrin から出版された(こちらが Vrin のサイトの同書紹介頁)。しかも、それは、もはや半世紀前の博士論文の単なる仏訳ではなく、その後の研究成果も取り入れた、フランス語による増補新版なのである。それが « Philosophie du présent » というコレクションの一冊として、25€という比較的安価な版で出版されたことも意味深い。
 この文献学的厳密さと哲学史的視野の広さと哲学的思索の深さを兼ね備えた稀有の研究は、単にストア哲学研究の必読文献であるばかりでなく、哲学的研究のお手本の一つとして広く読まれるに値すると言うことに私は何の躊躇いもないのであるが、とは言え、四百五十頁近いこの大著の全貌を拙ブログで紹介することは、私のような浅学非才で分野違いの粗忽者には、逆立ちしてもできない話である。
 ただ、同書から哲学研究の方法について僅かばかりでも学ぶことができればという切なる思いから、同書の「さわり」を、このブログの記事として、明日から少しずつ摘録していくことにする。
 今日の記事のタイトルは、同書の内容に基づいて、古代ストア派の一哲学者を現代において読むことの意味を一言で言い表そうとしたものである(仏語を解される方々は、Vrin の紹介頁に全文掲載されている同書裏表紙の紹介文を読まれたし)。

 

 


中心と周縁(10)― 戦争とインターネット

2015-11-11 08:43:23 | 哲学

 

 「中心と周縁」というテーマをめぐる今回の連載は、今日が最終回。といっても、何かはっきりとした結論が出せるわけではない。最後にもう一つ思いつきを記しておく程度のことしかできない。もっと正直に言えば、このテーマで今書けることの種がそこで尽きたということである。
 もう一度、平面上での或る有限な閉じた空間における中心と周縁との関係というモデルを起点として、現代世界について考えてみる。
 その空間の外部から内部へと進入するためには、必ず周縁を通過しなくてはならない。したがって、外部から周縁を飛び越えて中心にいきなり到達することはできない。外部、周縁、内部、中心という順序を経なくてはならない。
 この順序、つまり、中心に至るには必ず周縁を突破しなくてならないという「幾何学的な」順序は、現実の世界では、二十世紀に至るまで、戦争における地上戦の基本原則であった。もちろん、個々の場合については、戦場の地形にもよるし、一国の中心がその領土のどこに位置しているかによって、戦略・戦術も変わってくる。しかし、対立する二国間での戦争で、国境線の突破が決定的な重要性をもつのは、それなしには敵国の中枢に迫ることができないからだ。今日でも、最終的な制圧のためには、地上でこの順序に従って部隊を移動させなくてはならない。
 しかし、近代戦争は、この外部・周縁・内部・中心という「幾何学的な」順序を覆す兵器の開発・改良の歴史として見ることもできる。まず、大砲が発明されることで、自陣に構えながら、敵陣の要地を直接攻撃できるようになった。そして、海上の軍艦から敵の領地の内部を直接狙うことができるようになった。こうした砲撃技術革新が今日の大陸間弾道ミサイルにまで進歩する。もはや言うまでもないかもしれないが、地上戦の順序を決定的に覆したのが、第二次世界対戦から組織的に実行されるようになり、今日も実行されつつある空爆である。
 もう一つ、私たちが生きる現代社会で、上記の順序を覆した技術革新は、通信手段の世界でのことである。電信・電話の発明と改良を経て、今日のインターネットの世界的普及に至って、ネットへ接続さえできれば、いかなる「辺境」からでも、いきなり「中央」にアクセスできるようになった。その分だけ、私たちは、自分がいる場所の地理的・物理的諸条件による制約から自由になった。
 現代世界は、この意味で、平面上の中心と周縁と間の幾何学的な関係をモデルとする思考形式が通用しない、あるいは見えにくい領域・空間が拡大しつつある時代と言うこともできるかも知れない。
 他方、権力構造一般について見れば、その中枢に近いほど大きな権力を所有し、より大きな利権を享受しやすく、末端方向に向かって中枢から離れれば離れるほど、それらが小さくなり、さらには、より中心に近いものがより遠いものから搾取するという、中心と周縁との間の格差の構図は、国家の権力構造に限らず、相変わらず種々の組織の中に見出される。
 一方で世界図式として解体しつつあり、他方では私たちの思考・行動をなお規定し続けている「中心と周縁」という構図そのものを徹底的に検討し直すことが、現代世界の諸事象を見直すための一つの視角を開いてくれるかもしれない。
 そのための手掛かりの一つとなりそうだと私が考えているのが、最後期西田哲学から引き出せる「周縁なき無数の中心としての個物」という概念である。

 


中心と周縁(9)― 円から球へ、垂直方向に考える

2015-11-10 01:58:33 | 哲学

 「中心と周縁」というテーマを、自然と人為の関係という問題として考えるにせよ、環境問題を考えるための概念的枠組みとして捉えるにせよ、私たちが最初に思い浮かべがちなイメージは、水平方向に広がる地表における中心部と周縁域ではないだろうか。中心部から周縁域を遠望するにせよ、周縁域のある地点から中央を見返すにせよ、あるいは、上空から両方を俯瞰するにせよ、いずれの場合も、中心と周縁は、同じ地表面に属しているものとして考えられがちではないだろうか。単純化して言うと、どうしても円のイメージがモデルとしてまず浮かびがちなのではないだろうか。
 このような傾向は、「周縁」の語義「もののまわり、ふち」からして当然のことだとも言えよう。それゆえ、現実の世界の中での「中心と周縁」が問題とされるときも、円をモデルとして表象された同じ地表上で「中心」と「周縁」とがそれぞれに占める位置の価値的差異あるいは格差が、政治・経済・流通・交通・文化・軍事・外交・環境など、様々な分野で論じられることにもなるのであろう。
 では、この円という表象の替わりに、球という表象を思考モデルとしてみたら、どのようなヴィジョンが得られるだろうか。
 その球の中心を通る水平面を私たちが生きているこの地表だとしよう。そして、私たちがその中で生きている世界を球体と考え、その球面およびそれに直接する層を「周縁」と呼ぶことにしよう。いわば地動説から天動説へという反「コペルニクス的転回」を時代錯誤的に実行するという思考実験を敢えてしてみようというわけである。
 この前提に立って、思考の軸を水平方向から垂直方向に転じてみよう。すると、世界の「中心」に立っている私たちが見上げる空もまた「周縁」である。世界の「中心」を占める私たちが立つ大地の下、地底深くを流動するマグマ、重なり合う岩盤もまた「周縁」である。
 人類が生産した機械類が吐き出すガス、あるいはそれらを生産するときに吐き出されるガスによるオゾン層の破壊が「周縁」で進行中の事態であることは周知の事実である。地底の岩盤間の運動という、人類には制御不能な自然現象も「周縁」で頻繁に起こっていることを地震国の住民はよく知っている。それに対する人間による不十分な、そして誤った措置が、私たちが棲まう地表の一部を取り返しのつかない仕方で汚染してしまったのは、ついこのあいだのことである。
 思考の軸をこのように垂直方向に転ずることで否が応でも見えてくるのは、地球の「中心」を占めている人類の生存は、「周縁」との間の危うい均衡の上にしか成り立っていないにもかかわらず、脆弱な「周縁」を自ら破壊し、畏怖すべき「周縁」の警告に耳を傾けようとしない人間の底知れぬ無明である。

 


中心と周縁(8)― 辺境、あるいは〈外なるもの〉に対する最先端

2015-11-09 05:30:51 | 哲学

 

 国家であれ地方であれ、現実には、その権力構造の中心と周縁は、地理的な中心と周縁と重なっているとは限らない。地理的な中心がそのまま権力の中枢で、そこから同心円状に権力が順次階層づけられているとは限らない。逆に言えば、地理的周縁地域が権力構造の末端とは限らない。
 しかし、地政学的に「辺境」を問題とするときには、それは、単に地理的に中央から遠く離れた最も外側の遠隔地を指すのではなく、政治・経済・軍事・流通・文化など、多元的な意味で「中心から最も離れた場所」を意味してもいる。様々な点で不利益を被り、疎外の対象にもなっている地域を指すこともある。しかし、辺境は、「中央」から最も遠い場所であると同時に、「外部」との接点でもある。それは、内と外とを分かつ境界領域であり、外へと向かう開口部であり、かつ外から来るものをまず受け入れる受容の最先端でもある。
 昨年から二年連続で担当している学部二年生必修の日本古代史の講義では、七世紀後半から八世紀にかけての律令国家の形成・確立期に多くの時間を割いている。なぜなら、辺境における外交・軍事問題が国家にとって重要な政策課題となることが、地政学的に非常に典型的かつ比較的単純な形でそこに現れているので、日本古代史における辺境問題を、単なる一つの特殊な歴史的事実としてではなく、端的に地政学的観点から辺境問題のモデルケースとして扱うことができるからである。
 具体的には、九州北部への防人の派遣が軍事上の国家防衛措置として当時の最重要課題であったこと、しかし、それと同時に、その同じ辺境が大陸との交流・交易の最も近い玄関口になっていたこと、辺境そのものの動向・情勢、辺境を通じて流入する大陸の動向・情勢がリアルタイムで国家の政策を左右しうるから、それらの情報をいち早く掌握することが中央政府にとっても喫緊の課題の一つであったことなどを説明する。一言にして言えば、日本古代史において、辺境に外から迫る脅威が国家意識を目覚めさせ、その辺境を守ることが取りも直さず国家を守ることを意味したことに学生たちの注意を促す。
 古代において日本が置かれていたこのような国際的緊張状態を出発点として、それ以後の日本国家が自国の辺境とその外部とをどう扱ってきたかを辿る、いわば「日本辺境史」を構想することによって、日本国家の権力構造の歴史的変遷をある一面から照らし出し、その射程を現在にまで及ぼすこともできるだろう(因みに、内田樹『日本辺境論』については、そのタイトルを知っているだけで、中身は読んでいないので、上に述べたことと重なる論点が同書の中にあるのかどうか、私は知らない。仄聞するところによると、同書は、「辺境としての日本」を論じたものらしい)。

 


中心と周縁(7)― 周縁は中心に先立つ

2015-11-08 00:06:11 | 哲学

 あるテーマ或いは問題について考え始めるとき、私たちは、我知らず、暗黙の前提に拘束されがちである。その結果として、最初から思考が一定の方向に傾きやすい。そうなるようにと何者かによって意図的に「罠」が仕掛けられていることも稀ではない。あるいは、「同じ」テーマについて話し合っているつもりでいながら、実のところは、それぞれに前提が違うので、いつまでたっても話が噛み合わず、終始平行線のままなどという不毛な結果に終わることも、けっして少ないとは言えないであろう。
 そのような思考の「自然な」傾向性に対して、少なくとも議論の出発点において中立的であり、さらには、意図的に仕掛けられた「罠」に陥らないようにするための手段の一つは、与えられた問題を極力単純な形式に還元してみることである。
 このような観点から、「中心と周縁」というシンポジウムのテーマを考え直してみよう(ただ、今回の場合、シンポジウムの主催者側に何か良からぬ意図があるなどとは、それこそ毛ほども私は思っていないことを予め念のために明言しておく)。
 ある空間における中心と周縁の関係を同一平面上のそれに限定して考えてみよう。問題を単純化するために、その空間内の分節・区分け・色分け等、その空間をその周囲とは関係なしに内的に規定している諸特徴は、これを一切捨象する。白紙の上にある閉じた図形が一つ描かれているような場合に話を限定しようというわけである。
 その限定された二次元空間を、それが属する平面に対して垂直線上にあり、その空間全体を視野に収められるほど隔たった点から、例えば、上空の飛行機から地上を眺めるときのような場合を想定してみよう。
 その際、その空間の「形」として私たちが認識するのは、その空間を限界づけている外周線である。これはその限定された空間の形がどのようなものであっても同様である。言い換えれば、ある空間の中心がどこにあるか、あるいはそもそも中心があるかどうかという問題とはまったく独立に、私たちは、その空間の「形」を認識することができる。
 ところが、「中心と周縁」というように、両者をあたかも「ワン・セット」のように考えるとき、私たちは、すでに円形(あるいはそれに準ずる正多角形)をモデルとして考え始めてしまっている。確かに、与えられた空間が完全な円形(あるいは正多角形)であれば、円周(あるいは外周)がある場所に与えられているということは、その中心もその中に与えられていることを幾何学的には必然的に含意する。
 しかし、一般に、ある限定された空間をそれとして認識するためには、その空間を閉空間としている外周線の認識をその必須の条件とするが、その空間の中心の認識はまったく必要ない。そもそも現実の世界は、その中心を簡単には限定できないような形をした空間に満ち溢れているではないか。逆に、外周が曖昧であったり、掠れていたり、よく見えなければ、その空間の中心だけ指示されても、私たちはその空間の「形」を認識することができない。
 中心と周縁を最初からセットで考えるとき、私たちが陥りやすいもう一つの「罠」は、まず中心があって、それに対して何らかの条件の下、周縁が決定されるという一方向にのみ思考が限定されてしまうことである。
 しかし、どんな形でもいいから自由に一本線である閉じた図形を紙の上に描いてくださいと言われたとき、私たちはどうするだろうか。まず中心をどこか決定することから始めるだろうか。わざわざコンパスを持ちだして円を描く人、さらには定規を取り出して正多角形を描く人がどれだけいるだろうか。そんなとき、私たちは、他に何も条件が与えられていなければ、それこそ適当に、フリーハンドで、さっと、ある閉じた空間を形成する外周線を描くだろう。つまり、周縁を決定する。一つの閉じた一空間を形成するには、それで事足りるのだ。
 この意味で、周縁は中心に先立つ。

 


中心と周縁(6)― 両者を隔てかつ繋ぐ中間領域という媒介項

2015-11-07 06:48:14 | 哲学

 「中心と周縁」というテーマに限ったことではないが、ある問題を考えるときに、その問題を構成している諸概念について予め規定しておかないと、無用で不毛な混乱をその後の議論の中に引き起こしかねない。それらの混乱を避けるための基本的手段の一つは、それらの概念それぞれに議論の出発点で一応の定義を与えて置くことである。
 しかし、その混乱回避のための、ある意味でもっと簡単で、かつ思考のダイナミズムを活性化しやすい方法がある。それは、テーマとなる諸概念の価値を、それらと何らかの仕方で関連する他の諸概念の価値との弁別的差異によって規定しておくことである。
 簡単に言うと、「〇〇とは何か」という問い方から議論を始めるのではなく、「〇〇は何とどう異なっているか」「AはBとどう違うのか」「AとBとを結びつけているものは何か」などと問うことから始めるということである。
 この方法を「中心と周縁」というテーマに適用とすると、どうなるだろう。少し考えてみよう。
 ある空間について、その中心と周縁というとき、中心と周縁とが直接することはない。周縁は、必ず、中心から多かれ少なかれ隔たったある閾値を境として、その「向こう側」として規定される。この意味では、中心と周縁とは非連続である。しかし、他方、ある点が中心として機能するためには、必ず、それに対してある限定された周縁がなくてはならない。この意味では、つまり、両者相俟って同じ一つの空間を構成しているという意味では、両者は連続している。
 このような両者の非連続性と連続性を同時に成り立たせているのが、互いに異なり、場合によっては相対立するものとして両者を隔てかつ一つの空間の構成要素として繋いでいる中間領域である。中心と周縁とを隔てかつ繋ぐ媒介項として中間領域が機能してはじめて、中心と周縁とはそれぞれの機能を果たしうる。したがって、この媒介項としての中間領域の機能・構造に変化が発生すれば、中心と周縁との関係も必然的にその影響を何らかの仕方で受けることになる。

 


中心と周縁(5)― 生命主義の哲学の致命的欠陥

2015-11-06 07:24:12 | 哲学


 ミッシェル・アンリが自然科学のそれぞれの分野を個別に立ち入って検討・批判できるだけの知識を持っていたとは、『野蛮』を読んでも、その他の著作を読んでも、到底思えない。ガリレオによって創始されたという幾何学的・数学的世界像が、そこから感覚世界・主観性・生命を排除する、あるいは少なくともそれらを過小評価するという同じ批判をいたるところで繰り返すだけである。この手の科学批判は、大体において、批判している本人が実際の科学的探究の現場やその成果について無知であるからこそできる、向こう見ずで図式的なもので、同書の初版が出版されるや、多くの批判に晒されたのも当然のことだと私は思う。
 アンリが批判しているのは、実のところ、本物の科学知ではなく、すべての認識を科学的知見に還元しようとする「科学(万能)主義」に過ぎない。だから、その批判内容そのものから私たちが学ぶべきことはほとんどないに等しい。それより、その科学(万能)主義批判を通じてアンリが何を擁護し守ろうとしているのかだけを見ておこう。その守ろうとしているものがアンリの哲学の核心的部分そのものにほかならないからである。
 「近代における学知と文化の乖離」という、大仰なだけで中味の乏しい不毛な図式は、前者が生命を否定・排除し、後者の唯一の源泉は生命である、という認識に基づいている。

Car, enracinée dans la vie, dans son mouvement incessant de venir en soi, de s’éprouver soi-même et ainsi de s’accroître de soi, la culture n’est que l’ensemble des réponses pathétiques que la vie s’efforce d’apporter à l’immense Désir qui la traverse. Et cette réponse, elle ne peut la trouver qu’en elle-même, dans une sensibilité qui veut sentir davantage, se sentir plus intensément — comme il advient dans l’art — ; dans une action qui permette à ce grand désir d’accroissement de s’accomplir selon des voies qui lui soient conformes — comme il advient dans l’éthique — ; dans l’épreuve, enfin, que la vie fait d’elle-même en ce Fond mystérieux d’où elle jaillit et ne cesse de s’étreindre soi-même — comme il advient dans la religion (La barbarie, op. cit., p. 3).

 要するに、生命とは、自足的・自発的・自展的なものであり、それは「巨大な欲望」(«l’immense Désir »)であり、文化とは、生命がその欲望に与えんとする種々の熱情的回答の全体(« l’ensemble des réponses pathétiques »)だというわけである。これと同類の表現は、同書の中に限らず、他の著作のいたるところで、様々に変奏されながら、それこそ果てしなく繰り返される。
 それ自体で己自身を全的に直接的に、したがって無媒介に肯定し、ただひたすらに自己贈与によって自発自展していくものに根拠を置く、このような生命思想は、その生命を脅かすもの、否定するものに対して、まさに己自身を守るために、容赦のない苛烈な批判を発動させるが、己自身に対しては、致命的に、一切の批判契機を欠いている。
 このような「自足的」生命思想に、中心と周縁との間の対立、ダイナミズム、相互媒介を積極的に思考する契機は見出し得ない。言い換えれば、周縁あるいはその外から到来するであろう、己に対して他なるもの・異なるもの・未知なるものを受容することは金輪際あり得ない。

Mais la vie est toujours là. Contre le procès inlassable de sa venue en soi nul n’a pouvoir. De cette venue en soi selon les modes pathétiques du souffrir et du jouir où la vie s’accroît et se gonfle d’elle-même, surgit l’immense Énergie qui s’accomplit et s’apaise dans les formes hautes de la culture. Que celles-ci tombent en désuétude, l’Énergie devenue inemployée n’est pas seulement malaise : parce que sa force n’a pas disparu pour autant mais se redouble au contraire, se déployant au hasard et sans but, elle engendre une violence irrépressible (ibid., P. 5-6).

 自足的な生命が己自身に歯向かうことがあるとすれば、それはいかなる意味でも科学自体の責任ではない。生命の一つの発現である或る文化が、同じく生命の発現である他の或る文化と衝突しないという保証はどこにあるのか。もし生命そのものが己自身を滅ぼそうとする契機を本質的に内在させており、その契機がいつ発動するかについて人類はまったく制御できないとすれば、科学あるいは科学主義を批判したところで何になろう。私たちにできることといえば、自分たちが生命の主であると誤って思い込まなように、そのような誤った思い込みに私たちを導こうとするあらゆる言説を見破る注意深さを保持し続けること、そのために知性と感性とをより鋭敏にする努力を続けることではないであろうか。

 


中心と周縁(4)― 科学知の勝利と文化の崩壊

2015-11-05 05:00:34 | 哲学

   

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 1987年に La barbarie の初版が刊行されたとき、同書は、フランス国内でかなり反響を呼び、また激しい批判も引き起こした。著者であるミッシェル・アンリを招いて同書を巡っての公開テレビ討論が行われたりもした。
 その映像の一部を、昨年だったか、一度 YouTube で観たことがある。その中で、アンリは、ガリレオに始まる近代科学知と文化との乖離について、同書の中で展開している自説を説明し、それに対する他の出席者の疑問や批判に答えようとしていたが、それらの出席者たちの拒絶的とも言える無理解に対して半ば絶望的な表情を見せ、いささか苛立ってもいたように見えたのが印象的だった。
 初版の邦訳は、早くもその三年後の1990年に出版されており、この翻訳が日本の一般読者へのミッシェル・アンリ紹介の先駆けとなった。それ以前に出版されているアンリの主著に先立って同書が翻訳された理由は、その内容からしてそれを思い量ることは難しくはないが、商業的にはアンリの著作の中で最も成功した一冊ではあっても主著とは言えない同書の翻訳をまず読むことで、アンリの哲学について誤ったイメージを抱いてしまった日本の読者も少なからずいたのではないかとも恐れる(本国フランスでも多かれ少なかれ同じようなことが起こったと言えるかもしれない)。
 私自身は、留学前の1995年のことだったと思うが、当時実家の二階の借家スペースに家族四人で住んでいたCNRSの研究者でナノテクノロジーの専門家だったフランス人と同書について少し議論した覚えがある。彼は、やはり科学者ということもあり、アンリの実際の科学研究の現場についての無知に対して批判的であった。それは無理からぬ反応であったと思う。
 今回の記事では、2001年にPUFから « Quadrige» の一冊として再刊行された同書第二版に付されたアンリ自身による序文を読んでみよう。まず、その冒頭である。

Ce livre est parti d’un constat simple mais paradoxal, celui d’une époque, la nôtre, caractérisée par un développement sans précédent du savoir allant de pair avec l’effondrement de la culture. Pour la première fois sans doute dans l’histoire de l’humanité, savoir et culture divergent, au point de s’opposer dans un affrontement gigantesque — une lutte à mort, s’il est vrai que le triomphe du premier entraîne la disparition de la seconde (p. 1).

 ここで言われている「学知」(« savoir »)は科学的認識一般を指し、「文化」(« culture »)は、私たちが五感で感じる世界の中の様々な創造物の総体を指している。同書の出発点となっているのは、私たちが生きる現代は、学知の未曾有の発展が文化の崩壊を伴っているという逆説的な時代であるという認識である。今や、おそらく人類史上初めて、学知と文化とが乖離し、両者は対立するに至っており、前者の勝利が後者の消滅をもたらすかも知れないと警鐘を鳴らしているのである。
 アンリは、同書においてばかりでなく、他書においても度々、この学知と文化との乖離の起源が十七世紀のガリレオに始まると主張している。その認定の当否は差し当たり脇に退けて、なぜこの乖離が起こったとアンリが考えているかを見ておこう。

La connaissance géométrique de la nature matérielle — connaissance qu’il est possible (Descartes le démontre sans tarder) de formuler mathématiquement —, tel est le nouveau savoir qui prend la place de tous les autres et les rejette dans l’insignifiance (ibid.)

 物質的自然の幾何学的認識 ― 数学的に定式化可能な認識(まもなくデカルトがそれを証明する)― これが新たな学知であり、それが他のすべての知に取って替わり、それらを取るに足らぬものとして排除する。しかも、この新しい認識がもたらした世界像の転換は、単に学問的な領域に限られた出来事ではなく、私たちが生きる世界そのものを変えていく。その新しい世界が「近代」(« modernité »)である。
 こうアンリは見ているわけであるが、このような極端に単純化された科学史観に対して激しい反論が沸き起こったのも無理からぬことだと思う。
 しかし、私たちは、近代科学知に対するこのような断固たる(頑迷固陋なとまでは言わないでおこう)態度がアンリのどのような哲学的直観に由来するのかまで見届けておこう。

 


中心と周縁(3)― 「歴史」から「空間」へ、そして現代の不安

2015-11-04 00:00:17 | 哲学

   

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 「中心と周縁」というテーマについての私の考えをまとめるにあたって、第三の手掛かりとなるのが、「私たちが生きている空間は幾何学的空間ではない」というテーゼをそれぞれの仕方で主張している幾人かの哲学者たちの言説である。
 ミッシェル・フーコーもその一人に数えることができる。実際、拙ブログで10月19日から23日に渡って紹介した講演原稿 « Les Utopies réelles ou Lieux et autres lieux» の中にそのような主張が打ち出されている。その数カ月後の講演原稿「他者の場所――混在郷について」(筑摩書房刊『ミッシェル・フーコー思考集成 X』に収録。同テキストについては10月24日から26日の記事を参照されたし)の中では、十九世紀の鍵概念が「歴史」であったのに対して、「空間」こそが二十世紀の主要な関心事だとフーコーは言っている。

Nous sommes à l’époque du proche et du lointain, du côte à côte, du dispersé. Nous sommes à un moment où le monde s’éprouve, je crois, moins comme une grande vie qui se développerait à travers le temps que comme un réseau qui relie des points et qui entrecroisent son écheveau. (Dits et écrits II. 1976-1988, Gallimard, coll. « Quarto », 2001, p. 1571)

 フーコーによれば、私たちが生きているのは、時間の中で繰り広げられていく一つの偉大なる生のように世界が経験される時代ではなく、諸点を結び合わせ、それらを錯綜させるネットワークとして世界が経験される時代である。そして、諸点が併置される無限に開かれた空間という世界像は、ガリレオとともに開かれた。この空間認識こそが中世的世界像を決定的に揺るがしたのであり、その意味で、それは地動説より衝撃的であった。
 しかし、神によって与えられ秩序づけられた「位置」(« localisation »)に基礎づけられた中世的世界像が、無限の「延長」(« étendue »)としての幾何学的空間に取って替わられれたことが近代的世界像を開いたとすれば、その「延長」が「用地」(« emplacement »、何かの用途に使われる場所 )に取って替わられているのが現代である。この「用地」という概念は、次のように定義される。

L’emplacement est défini par les relations de voisinage entre points ou éléments ; formellement, on peut les décrire comme des séries, des arbres, des treillis. (ibid., p. 1572)

 つまり、それぞれの点や要素の意味・意義・価値は、それらがある系列、樹状組織、格子構造の中で占める「場所」(emplacement)にもっぱら依るということである。言い換えれば、それぞれの点や要素それ自体には、もはや意味・意義・価値はないのである。どこに何があるか、どこに何を置くか、これらが今日のもっとも重要な問題である(一言私見を加えれば、「いつ」「どのタイミングで」ということもそれに劣らず重要だと考える)。この点あるいは要素の中には、人間自身も含まれていることは言うまでもないであろう。
 このような世界像に立って、フーコーは、その他の諸々の場所から根本的に区別されるべき特異性を有った場所である「ヘテロトピー」(異所・異空間)の総合的研究を提唱するわけであるが、この点については、拙ブログでも既にいくらか紹介したので、ここでは再説しない。
 今日の記事でフーコーを引き合いに出したのは、実は、ガリレオがもたらしたパラダイム・チェンジにしばしば言及しているもう一人のフランス人哲学者を召喚するきっかけとしてなのである。その哲学者とは、ミッシェル・アンリである。明日の記事では、アンリの著書 La barbarie ( 1re édition, Grasset, 1987 ; PUF, 2008. 邦訳は、『野蛮』法政大学出版局) を取り上げる。

 


中心と周縁(2)― 未開で野蛮な社会への退行

2015-11-03 05:46:23 | 哲学

   

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 「中心と周縁」というテーマについて考えをまとめるための、私にとっての第二の手掛かりは、「自民族中心主義」(ethnocentrisme)という概念の規定の中に見出される。
 この概念について考えるきっかけを与えてくれたのが、Christian Delacampagne, Une histoire du racisme, La Livre de Poche, 2000 である。著者は、現在はどうか知らないが、同書出版時には、アメリカのジョン・ホプキンス大学の教授であった。哲学が専門であり、二十世紀哲学史も書いているが、現代の諸問題の歴史的起源の哲学的分析に特に長けている。
 同書の序論で、著者は、人種差別を自民族中心主義と外国人嫌いとからはっきり区別する必要を訴えている。
 自民族中心主義とは、著者によれば、あるグループの成員たちにとって、自分たちのグループがすべてのグループの中で最も優れていると信ずる態度である。言い換えれば、自民族(あるいは自国民)が世界の中心であると信ずる態度である。この態度は、いわゆる「未開」社会(sociétés « sauvages »)に広く観察される態度であり、例えば、アメリカ・インデアンの多くは、自分たちのことを「卓越せるもの」(« les excellents »)、あるいは端的に「人間」(« les hommes »)と呼ぶ。それは、あたかもそれらアメリカ・インデアンの部族のそれぞれが、自分たちだけで、「人類」(« l’humanité »)を体現していると信じているかのようである。
 この自分たち以外を「未開」あるいは「野蛮」と見なす態度である自民族中心主義こそ、典型的に「野蛮な」(« sauvage »)態度だと喝破したのがレヴィ=ストロースである。そうレヴィ=ストロースが言っているのは、もともとは1952年にユネスコで行った講演の中でのことであり、後に Race et histoire というタイトルで出版されている(現在も、Gallimard の « Folio essais » の一冊として簡単に入手できる。1971年に同じくユネスコで行った講演「人種と文化」と併せて、Albin Michel から、Race et Histoire Race et Culture というタイトルで2002年に出版されてもいる。『人種と歴史』の邦訳は、みすず書房から刊行されている)。その講演の第三節は、まさに « L’ethnocentrisme» と題されている(邦訳では、「民族中心主義」となっている。手元になく、本文の訳は未見)。

Il suffira de remarquer ici qu’il recèle un paradoxe assez significatif. Cette attitude de pensée, au nom de laquelle on rejette les « sauvages » (ou tous ceux qu’on choisit de considérer comme tels) hors de l’humanité, est justement l’attitude la plus marquante et la plus distinctive de ces sauvages mêmes. (« Folio essais », p. 20 ; Albin Michel, p. 44-45)

 しかし、このような態度は、いわゆる「未開民族」だけに見られた過去のものであり、今日の文明社会には見られない心性であろうか。Une histoire du racisme の著者は、そうではない、と言う。

En même temps, l’ethnocentrisme est parfaitement universel, dans la mesure où un sauvage continue de dormir dans le cœur de l’homme civilisé, et où chacun de nous est persuadé que sa propre « tribu » (quoi qu’on entende par là) est la seule qui vaille. (Ch. Delacampagne, op. cit., p. 13)

 同じ序文の中で、著者は、この誰の心にもつねに潜んでいる自民族中心主義的心性、つまり〈未開なもの・野蛮なもの〉そのものを告発しようとしているのではない。そのような心性は、どこにでも、いつでもあるという意味で、人類にとって普遍的でさえある。著者が弾劾しているのは、そのような本来的に野蛮な態度である自民族中心主義がもたらす他者への憎悪に何らかの「科学的」根拠を与え、それを「真理」として正当化しようとする近代以降の疑似科学的人種差別である。
 このような観点からすると、現代の世界は、まことに皮肉なことに、その達成した科学的進歩によって、まったくそれと気づかずに、未開で野蛮な社会へと逆戻りしようとしているかのようにも見える。もし私たちがそのような疑似科学的に根拠づけられた差別的優位性とそこから発生する他者への憎悪にしか己の存在理由を見出せなくなっているとしたら、それは私たちがまだニヒリズムを徹底的に生き抜いてはいないからなのかもしれない。