内的自己対話-川の畔のささめごと

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網膜歪覚における「ずれ」と統合 ― ジルベール・シモンドンを読む(94)

2016-06-12 08:20:07 | 哲学

 ILFI第二部第二章第二節 « Information et ontogénèse » は、第二部の最終節である。この節は、さらに五項に分かれている。その各項から何箇所か摘録しておこうと思う。まず第一項 « Notion d’une problématique ontognénétique » の冒頭。

L’ontogénèse de l’être vivant ne peut être pensée à partir de la seule notion d’homéostasie, ou maintien du moyen d’autorégulations d’un équilibre métastable perpétué. Cette représentation de la métastabilité pourrait convenir pour décrire un être entièrement adulte qui se maintient seulement dans l’existence, mais elle ne saurait suffire pour expliquer l’ontogénèse. Il faut adjoindre à cette première notion celle d’une problématique interne de l’être. L’état d’un vivant est comme un problème à résoudre dont l’individu devient la solution à travers des montages successifs de structures et d’information, sous forme de couples d’éléments antithétiques, liés par l’unité précaire de l’être individué dont la résonance interne crée une cohésion. L’homéostatie de l’équilibre métastable est le principe de cohésion qui lie par une activité de communication ces domaines entre lesquels existe une disparation (205).

 恒常化された準安定的な均衡を自動制御することであるホメオスタシスによってのみ生体の個体発生を十全に考えることはできない。ホメオスタシスが与える準安定性の表象は、その生存において完全に成熟した個体の記述には適しているかもしれないが、個体発生過程を説明するには不十分だからである。そのためには、ホメオスタシスによる恒常性に対して、存在の内的問題性を考慮に入れる必要がある。一個の生体の状態とは、いわば解決すべき問題のようなものであり、個体は、構造と形態形成に必要な情報を順次組み合わせ編集していくことで、己自身がその問題に対する解決となる。しかし、これらの統合化されていく構造と情報は、相反する要素間の組み合わせという形を取る。それらの要素は、個体化された存在の不安定な統一性によって結合されている。その結合に一定の凝集性をもたらしているのは、その個体化された存在内の内的共鳴である。つまり、準安定的な均衡をもたらしているホメオスタシスは、凝集性の原理ではあるが、それは、互いに対立・乖離している諸領野をコミュニケーションによって結び付けるかぎりにおいてのことである。
 上掲引用文末尾に見える « disparation » という言葉は、医学・生理学における「網膜歪覚」のことであり、二つの網膜上の視像のずれのことを意味している。ここでもその意味が前提にされていることは、この語が同じ頁に二度目に出てくる箇所に付けられた脚注から明らかである。しかし、シモンドンは、そのように限定された分野に適用される意味だけでこの語を使っているわけではない。生体に内包されている相反・対立・乖離する諸要素間により高次な次元での統一性を形成していく過程一般を生命の個体化過程に共通する特性と考えようとしていると見るべきであろう。