内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ひとつの生体における複数の個体性という問題 ― ジルベール・シモンドンを読む(91)

2016-06-09 16:39:31 | 哲学

 今日の記事では、シモンドンのテキストを逐語的に追うのではなく、ここまで読んできたところに依拠しながら、少し自由に考えてみたい。
 生物の一個体を一つの情報システムとして捉えるとしても、そのシステムが単純で単一構造をもったものであるか、あるいは複雑で複数の次元をもったものかによって、その一個体の把握の仕方は異なってくる。
 一般に、個体の各部分において受け止められた刺激に対して、その部分だけで反応することができるような生物は、その個体性の程度が低い。この場合、各部分がそれだけ自律性をもっていて、諸部分を統括する中心の果たす役割はそれだけ乏しい。
 逆に、外部からの様々な刺激を集約する情報センターをもった生物は、その個体性の程度が高い。この情報センターとして高度な発達を遂げたのが脳である。この意味では、脳が最も高度な情報集積能力をもった人間は、最も個体性が高い生物だと言うことができる。
 しかし、一個の生物としての個体性の高さは、単に情報集積度だけでは測れない。なぜなら、いくら情報を集積しても、その情報に基づいて適切な反応を迅速に命令できなければ、生体として自己保存し続けることができないからである。つまり、生物の個体性は、刺激に対してその情報センターから発信される反応の正確さと速さとにも依存する。
 問題をさらに複雑化するのは、刺激の質によって生物の反応の仕方が異なることである。刺激がすべて化学反応に還元できるわけでもない。同一の刺激が生体の複数の次元で感受されることもある。ところが、反応する生体は一つしかない。
 とりわけ、生理的反応と心理的反応とを区別しなければならないと思われる人間の場合は、この受容の次元の複数性がその個体性の規定を一層複雑化する。人間に関しては、生物としての個体性と心理-社会的主体としての個体性とはほとんど別物であるように見える。しかし、両者は無関係でもない。
 もし一つの情報システムの形成が一つの個体性に対応するとすれば、相互に独立した二つの情報システムからなる生体は、二つの個体性をもっていることになってしまう。しかし、これはおそらく問題の立て方が間違っている。この間違った見立てから、二つの個体性のいずれかに人間の個体性を還元する、あるいは一方を他方に従属させるという誤った帰結に導かれてしまう。
 存在全体を重層的・多元的な個体化過程として捉え、その中で形成されつつある種々の個体性の中の一つの複雑な個体性として人間存在を捉えようとするシモンドンの個体化理論において決定的に重要な役割を果たしている « information » という概念は、そのような陥穽を回避しつつ、問題の別の立て方を私たちに教えてくれている。