内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

霊魂における能力と受容性の対立について ― アビラのテレサ『霊魂の城』にふれて

2020-06-20 23:59:59 | 読游摘録

 英語のキャパシティ(capacity)に対応するフランス語は capacité だが、どちらも同じラテン語 capacitas をその語源としており、もともとの意味は「受け入れることができる」ことである。十四世紀初めにこの意味で使われ始めている。この意味で今日でも普通に使われている例として、ある学科・学部の定員、部屋の収容可能人数、あるいはコンピューターのメモリの容量を挙げることができる。語史的には、「(何かをする)能力」という意味でこの語が使われるようになるのは、最初の意味にやや遅れて十四世紀半ば以降のことである。
 ジャン=ルイ・クレティアン(Jean-Louis Chrétien)が L’espace intérieur (Les Éditions de Minuit, 2014) でアビラのテレサ(Thérèse d’Avila)の『内なる城』(Le Château intérieur)について論じている箇所に次のような一節がある。

Dans le Château intérieur, c’est aussi au début (I, 2, 8) qu’elle appelle à « toujours considérer les choses de l’âme dans leur plénitude, largeur et grandeur », car l’âme est « capable de beaucoup plus que nous ne pouvons apercevoir » – capable, capaz, terme augustinien fondamental, dont, encore une fois, il faut rappeler le sens « passif » de contenance ou de réceptivité, le sens actif étant plus tardif dans l’histoire de la langue (p. 221).

 ここでクレティアンが注意を促しているのは、スペイン語原文での capaz (フランス語の capable に対応する)を「受動的な」意味で受け取らなくてはならないということである。霊魂は、私たちが想像できる以上に、何かを「することができる」のではなくて、「受け入れられる」ものだというのがアビラのテレサが言いたいことなのだと強調している。つまり、霊魂の能力ではなく、その受容性がここでの問題なのである。
 この文脈では、能力と受容性は対立している。なぜなら、能力を発揮することが、かえって受容性を十全に開くことを妨げてしまうからである。能力を黙らせることによってはじめて、本来的に黙せるものである受容性が霊魂のうちに開かれる。
 これは単にキリスト教世界内の神秘主義の一派における経験に関わる問題にとどまるのではなく、より普遍的な精神史的問題であると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


予測不可能な世界を生きるためになにが必要か ― 緻密な合理性に基づいた総合的判断力 ・判断中止する勇気・変化に即応する心身の柔軟性

2020-06-19 23:59:59 | 雑感

 今まで当然だったことがそうでなくなり、未だ新しい標準ができてはおらず、数ヶ月先のことさえ予測不可能になり、いつも状況の悪化に怯えながら生きるのは、誰にとっても容易いことではない。
 不確定性の中にとどまり続けるのはしんどいから、まだよくわらない先のことについて今からもうさっさと決定し、少しでも先の見通しを明るくしたいと思う気持ちもわからなくはない。
 特に大きい組織の場合、組織全体としての基本方針が決まらなければ、その組織の成員は、それぞれの部署での行動方針も決められない。
 大学もそのような組織の一つだ。一昨日の学部評議会でのこの九月からの新学年の大学運営に関する、特に授業方式に関する基本方針の発表内容は、前回の五月後半の評議会での方針説明よりは明確になり、コロナウイルス対策に関する規定も若干だが緩和された。教室には、収容人数の上限の半分まで入れてもよいことになった。それ以前は三分の一だった。
 このガイドラインを受けて、昨日は新学期からの学科の時間割編成に没頭した。一年生は優先的に教室での対面授業を中心に行うという大学の基本方針は、現状が維持されるのならば、語学の授業に関しては完全に実現できるように編成できた。一年生全員を同じ教室に集める授業は、約150人の学生を想定しなくてはならないが、300人以上収容できる階段教室の数はキャンパス全体で限られており、どの学科もそれらを使いたいわけであるから、昨年まで学科で確保してあった教室に追加することは困難であり、現時点では、全員一斉授業はオンラインしか方法がない。
 だた、授業のタイプ・内容、教員の授業スタイルは一様ではなく、それぞれ希望するスタイルは違う。その選択は個々の教員に任せるつもりだ。いろいろ試してみて、利点・欠点がはっきりしてきたところで、状況の変化と先の見通しも考慮しつつ、教員間で話し合って調整を図り、よりよい方式を探るというプラグマティックな方針で行く。
 もちろん、それが理想だと考えているのではない。しかし、決められないことは決められない。その都度の判断すべきことは、そうするしかない。それを無理やりに決めてしまい、変更を認めないのは論理的ではない。それは、精神の硬直化であり、知性の欠如でしかない。
 予見不可能性を生きなければならない状況を嘆いてもしかたがない。それに、そもそも、それこそが人間にとってより本来的な実存的状況なのではないか。だとすれば、私たちはそれを「喜んで」引き受けるべきだろう。
 予見不可能な世界を生きるためには何が必要だろうか。緻密な合理性に基づいた総合的判断力と判断中止する勇気と変化に即応する心身の柔軟性の三つは少なくとも欠かせないと思う。根拠薄弱な憶測に振り回されることなく、その都度確保可能な確実性を根拠として、想定されるリスクへの対策を準備しつつ、その都度の条件下で最善の判断を下すためには、これら三要素は不可欠だろう。
 しかし、これらの三要素を備えているだけでは不十分なのだ。なぜなら、それらをないがしろにする権力者たちがいたるところにいるからだ。それらと戦うための戦略もまた私たちは必要としている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


天来の美声の恵み ― クロウタドリを讃えて

2020-06-18 17:56:13 | 雑感

 朝、クロウタドリ(黒歌鳥)の鳴き声で目を覚ます。彼らはとても早起きで、日の出の一時間くらい前の四時半前から、名手が吹くピッコロのような美声で歌い始める。春から初夏にかけての繁殖期には特によく囀る。フランス名は merle noir (メルル・ノワール)。こちらのほうがクロウタドリより響きが可愛い。公園や緑地などでよく見かける。
 早朝だけでなく、日中もよく歌っている。机に向かって仕事をしていると、窓前を覆うヤマネコヤナギ(山猫柳)の枝に来ては、ひとしきり自慢の歌声を披露してくれる。少し離れたところから別の雄が輪唱してくれることもある。彼らにしてみれば、互いのテリトリーの主張なのかも知れないが、無償でその美声を聴かせてもらっているこちらは、天来の恵みに感謝するだけである。
 もう過去に何回か貼り付けたことがある写真だが、今日の記事に再度貼り付けた写真は、大学附属の植物園を散歩しているときに、目の前をぴょんぴょん跳ねながら横切っていくメルルくんを撮ったもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


仕事の手をはたと止めて聴き入ってしまった曲 ― シューベルト弦楽三重奏曲第二番 D. 581

2020-06-17 03:16:29 | 私の好きな曲

 楽しみのための読書・映画鑑賞・音楽鑑賞について、なんて自分は保守的なのだろうとしばしば思う。どんな感じかもわからない新しい作品を試してみようという気にはなかなかなれない。試してみてがっかりするのが嫌だから、世評の高い作品の中でも自分の嗜好に合いそうなものしか読もうとも観ようとも聴こうともしない。それだけで十分過ぎるくらいの作品があるのだから、一向に退屈しない。だから、わざわざ失望覚悟で新しい作品にチャレンジする気にはなれない。そんな時間、そもそもないし、って思ってしまう。
 クラシック音楽は中学生のころから半世紀近く聴いている。高校時代には、クラシック好きの友人もいたりして、それなりに幅広く聴いたつもりであった。十数年前だったか、自分はどんな音楽を好むのだろうか、「客観的に」に確かめてみようと思い、日毎に聴く曲をエクセルの一覧表に記入していき、何回同じ曲を聴いたか、一年余調べてみたことがあった。その結果として、自分でも呆れたのは、頻度の高いのはいわゆる名曲中の名曲に集中しており、それらの曲を列挙すれば、クラシック名曲〇〇選の類となんら変わるところがない。
 そんな度し難い保守性を少し変えてくれたのが、アップルやアマゾンなどの音楽配信である(別にリベートをもらっているわけではありませんよ)。職業柄というか、もともと自宅で仕事している時間が長かったが、コロナウイルス禍による外出制限令下、ますます自宅で過ごす時間が多くなった。その時間、ストリーミングで音楽を流し続けることが数ヶ月続いた。
 その間、音楽作品には大変失礼な話なのだが、仕事中はまさに聞き流している。もともとそのために作られた音楽ならともかく(あるでしょ、「仕事の効率を上げる」とか、「集中力を高める」とか)、真剣に聞かれることを作曲者が望んでいた曲を、その曲とは何の関係もない仕事のバックグラウンド・ミュージックにしてしまうのは誠に申し訳ないと思う。
 他方、「あっ、この曲いいな」と、仕事の手がはたと止まってしまうことがある。今日、そんなことがあった。誰のどの曲だろうと確かめたら、シューベルト弦楽三重奏第二番(D.581)であった。なんとも愛らしい曲で、こういう親密な空気を醸し出してくれる室内楽っていいよなあ、って、しばし聴き入ってしまった今日の午前のひとときでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


文学研究の救いとしてのメルロ=ポンティ ― 中西進『万葉集原論』再刊を機として(四)了

2020-06-16 01:48:39 | 読游摘録

 昨日の記事で取り上げた中西論文「古代的知覚 ―「見る」をめぐって」の「五 見る・ある・知る」では、一箇所だけメルロ=ポンティへの言及が見られる。そこでも、「見る」ことは「見られる」ことでもあるという主張を批判する文脈で、見るものと見えるものという存在の両義性が援用されている。
 昨日見た箇所と第五節でメルロ=ポンティに言及されている箇所とを合わせ読むことでわかるのは、見るものは見えるものでもあるというメルロ=ポンティのテーゼを支持しつつ、しかしそのことはその見るものが他から見られるものであるという受動性を帰結として直接的にもたらさないという解釈を強調することによって、古代世界における「見る」の権能についての独自の理解を中西氏が打ち出そうとしていることである。
 見るものは、見えるものでもあるからこそ、見ることそのことによって己が見るものに「見えるもの」という存在性を付与することができ、見ないことによってその存在性を奪うこともできるという権能を有しているのだというのが氏の本論文での所論である。
 氏の所論が記紀歌謡・万葉集の時代の「見る」の権能についての説として妥当かどうかという、それ自体大変重要な問題にはここでは立ち入らない。哲学研究者ではなく、メルロ=ポンティの哲学に自身の「低迷」の救いを求めていただけの万葉学者である中西氏に対して、メルロ=ポンティ理解の不備を指摘することは酷にすぎるだろう。ただ、メルロ=ポンティ晩年の存在論を『眼と精神』によってだけでは十分には理解することはできなことはやはり指摘しておかなくてはならない。
 確かに、『眼と精神』には「見られる」(être vu)ものという表現はない。ところが、『見えるものと見えないもの』には « mon être-vu » 及びそれに類似した表現が十数箇所あり、メルロ=ポンティは、見るものとしての自己身体が他の見るものによって見られるという経験、さらには物によってさえ見られていると感じる経験を、〈見るもの-見られるもの〉が見るという経験とは区別して、考察している(例えば、Le visible et l’invisible, Gallimard, 1964, p. 183)。
 したがって、もし中西氏が『見えるものと見えないもの』(みすず書房 1989年、法政大学出版局の中島盛夫訳『見えるものと見えざるもの』は1994年刊行)を本論文執筆当時(1975年)に読んでいたとしたら(英訳は1968年に刊行されているから、まったく不可能なことではなかった)、昨日の記事で見たような仕方でメルロ=ポンティを援用して永藤論文を批判することはできなかったし、むしろ、反対に、永藤氏の所論こそメルロ=ポンティの存在論によって支持されると認めなくてはならなかったであろう。
 『眼と精神』が私たちの世界の見方を豊かにしてくれる魅惑的な思想を湛えた著作であることを私は喜んで認めるし、私自身、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の新しい読解のヒントをそこから得ているが、メルロ=ポンティの哲学をより深く理解するための注意深い読解を怠ってはならないと自らを戒める機会をこうして『万葉集原論』が与えてくれたことを私はむしろ感謝している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


文学研究の救いとしてのメルロ=ポンティ ― 中西進『万葉集原論』再刊を機として(三)

2020-06-15 12:48:57 | 読游摘録

 『万葉集原論』所収の諸論文の中でメルロ=ポンティへの言及が見られる第三の論文は、昨日の記事でも一言触れたように、「古代的知覚 ―「見る」をめぐって」と題された論文で、本書第三部「万葉集の表現」の第三論文である。この論文の初出は『文学』昭和五十年四月であるから、昨日取り上げた二論文より五、六年後に執筆・発表されたものである。
 そのタイトルから察せられるように、この論文は、全体として、古代世界における「見る」ことの権能をその考察対象としている。六節からなり、順に「うつせみ」「基本の視覚」「目の呪能」「見えるもの」「見る・ある・知る」「見ゆ」と見出しが付けられている。メルロ=ポンティへの言及が見られるのは第四節「見えるもの」と第五節「見る・ある・知る」との二節においてである。
 第四節は、前節で確認された古代世界における「見る」ことの呪能を前提として、具体的な場面での「見る」という知覚の働きを万葉歌の中から例を挙げながら考察している。自説を述べた上で、先行研究の批判的考察を展開する中で、メルロ=ポンティの名が登場する。そこで考察対象となっているのは永藤靖氏の論文「記紀・万葉における「見る」ことについて」(岩波書店『文学』四一巻六号 一九七三年)である。
 永藤論文の核心を「国見の「見る」は(中略)自然の霊力との出会いの行為であり、その祭式に他ならない」というテーゼにあると読解し、それはこの永藤論文の直前まで批判の俎上に載せられていた土橋寛の「魂の交流」「タマとタマの交渉」といった所論と同一だとみなす。この同一視の可否を問うことは、どちらの論文も読んでいない私にはできない。
 この読解を前提として、中西氏は、永藤論文の裏づけ立証の過程には、三つの柱が用いられているように読みとれると言う。その三つの柱とは、宣長、メルロ=ポンティ、丸山眞男それぞれの論である。
 宣長によれば、「見る」は、見るものを「身に受け入る」ことであり、単なる視覚の事実ではない。つまり、見ているものを我が身に引き受けることである。しかし、中西氏によれば、宣長は、「見る」ことをそう規定しただけであって、その「見るもの」が同時に「見えるもの」あるいは「見られるもの」として、見えるものの世界に降りていくと考えたわけではない。
 それにもかかわらず永藤氏がそう考えたのは、メルロ=ポンティと宣長を結びつけたからではないかと中西氏は推測する。永藤論文にはメルロ=ポンティの明示的な言及はないから、中西氏自身、「思いすごしかもしれない」と断ってはいるが、この推測の根拠として、永藤氏が「世界内存在」ということばを用い、それを次のように言い換えることもできるとしていることに注目する。

「見る者」は同時に一方では「見えるもの」である。「見えるもの」はまた「見られているもの」でもある。

 確かに、これを読むかぎり、永藤氏がメルロ=ポンティを参照しただろうと推測することは的外れではないと思われる。永藤氏が『眼と精神』を実際に読んだかどうかは措くとして、少なくとも、万葉集を対象とする国文学の論文にこのようにメルロ=ポンティ風の表現が出てくるほどに、メルロ=ポンティの晩年の存在論が当時の日本でよく取り沙汰されていたことの傍証だとは言えるだろう。
 この引用に続いて、中西氏自身による『眼と精神』への明示的な言及があり、氏のメルロ=ポンティ理解が示される。その要点は、見るものは同時に見えるものでもあるというメルロ=ポンティの所論から、見るものは他の見るものによって見られるものだという帰結を直ちにもたらさないというところにある。
 確かに『眼と精神』にはそのような所説は見られない。中西氏がなぜその点にこだわるかというと、見るもの同士の相互作用性とそれに基づく「魂の交流」は、古代精神にとっての「見る」においては、少なくとも第一義的なことではない、ということを主張したいからである。氏によれば、「「見る」がまず本来的な知覚であり、聖なる呪能さえ持ち、よって事と次第によっては「見る」ことで対者のタマを手に入れることですらあった」のである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


文学研究の救いとしてのメルロ=ポンティ ― 中西進『万葉集原論』再刊を機として(二)

2020-06-14 11:19:30 | 読游摘録

 『万葉集原論』の中でメルロ=ポンティに言及している論文は三つある。そのうちの二つは、第一部「万葉集研究の方法」中の第一論文「文学史の方法―その「歴史」について」と第二論文「文学研究の方法」である。それぞれ文学史の可能性についての原理的な反省と文学研究の方法基礎論とが問題とされる場面でメルロ=ポンティへの言及が見られる。
 しかし、いずれの言及箇所にもメルロ=ポンティの著作からの直接の引用はない。論文執筆当時(1969年)に雑誌『展望』(7月号)に発表された丸山静の「人間の科学をもとめて」が参照されている。また、上掲二論文には、西郷信綱の名前が当代の最も優れた文学史家の一人として頻繁に援用されている。この西郷信綱が『古事記の世界』(岩波新書 1967年)の「あとがき」で同書執筆にあたって深く学ぶところがあった三つ源泉の一つとしてメルロ=ポンティの『知覚の現象学』を挙げていること(この点については2019年1月15日の記事「1960年代に現象学が日本古典研究に与えた衝撃の証言」を参照されたし)が、中西氏に刺激を与えていることは間違いない。
 『知覚の現象学』の邦訳は、その上巻がみすず書房から1967年に刊行されている。前年1966年には『眼と精神』が刊行されており、同書には、「人間の科学と現象学」「幼児の対人関係」「哲学をたたえて」も併録されている。『知覚の現象学』を氏が直接参照したかどうかはわからないが、『眼と精神』は、第三部「万葉集の表現」中の論文「古代的知覚 ―「見る」をめぐって」で邦訳が直接参照されている。この第三の論文は明日の記事で取り上げる。
 上掲二論文からわかることは、中西氏がフッサールとメルロ=ポンティの現象学に、生ける現在と生きられる世界の経験に根ざした人文科学としての文学史及び文学研究の理論的基礎づけの手がかりを探っていることである。その他にも、西洋の哲学者たち(ディルタイ、ハイデッガー、レーヴィット、ギュスドルフ、デリダなど)への参照が多数見られるが、これら万葉集とはまったく関係のない西洋の哲学者たちの所説の博捜ぶりに驚かされるとともに、60年代末から70年代初頭にかけての氏の学問的苦悩がそこからひしひしと感じられる。
 その苦悩を氏は原本である桜楓社版(1976年)の後記で、「近年私を悩ませて来た」「低迷」として、次のように叙述している。

 この数年、私は『万葉集』とは何かという厄介な問題に捉えられて来た。自ら好んで選んだ問題ではない。そうならざるを得なかったのである。『万葉集』には、きわめて困難な個別的問題も多い。しかし、それを考えていくと、もっとも根底の『万葉集』の理解が、いかにあるべきかに、つき当たってしまう。そしてこの問題は、事をどう理解してゆくかという、研究の手続きと不可分になる。この、文学史における『万葉集』の位置づけと研究方法との二者をさけて、いかに個別的な疑問に解答を与えてみても、それは砂上の楼閣にすぎないかもしれない。いや、積極的に、無意味だというべきだろうか。

 氏の豊穣な万葉研究は、このような学問の基礎づけに関わる深い煩悶を通じて生み出されていったのであり、同じく桜楓社版後記には、「おそらく、私は「万葉集原論」を生涯の課題としていくことだろう」と記されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


文学研究の救いとしてのメルロ=ポンティ ― 中西進『万葉集原論』再刊を機として(一)

2020-06-13 23:59:59 | 読游摘録

 今日の記事の表題をご覧になって、「?」と思われた方もいらっしゃるかと思う。私自身、「えっ?」と思ったことがこの表題のきっかけである。現在の元号「令和」の提案者である中西進氏(ご本人は明言を避けているようですが)の『万葉集原論』の講談社学術文庫版(2020年 原本 桜楓社 1976年)のまえがきを読んでいたら、メルロ=ポンティの名前が出て来て、ちょっと驚いたのである。原本出版当時の心境と時代状況を現在から振り返っている著者の言葉を引こう。

 まさにそのころ大学は、七〇年安保で大揺れに揺れ、それでいてまるで悪夢ででもあったかのように事は平静化していった。
 学問が問われつづけた時だったのである。
 私はその戦列に加わることも、甚だしい被害を蒙ることもなかったが、大きな空洞を体に感じてフランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティに救いを求めていたりしていた。
 年齢的にも三十代の末から不惑にさしかかる時期であった。現職を辞めて中国文学専攻の大学院に再入学して、当時の職場に辞職を申し出たこともあった。根源を問わざるをえなかったのである。
 しかし何事もなかったかのように世の中は収まり、わたしの空洞を見守っていて下さったかのように七六年三月、恩師久松潜一先生も世を去られた。お送りした二日後に、原本の「後記」を書いた。そして戦塵の後の空洞は、みごとに静かであった。
 『万葉集原論』はそんな傷痍を、十分背負っていた。
 いや、こんな傷痍を読者に見せたいわけではない。しかし空洞の中からなお古典に縋り、古典の本質を見つめて心の糧にしようとしていた著者の意は汲んでほしい。

 まえがきの末尾には「令和二年令月」とある。この「令月」はここでは二月のことだが、萬葉集巻第五・八一五右序文「于時、初春令月、気淑風和」(時に、令月、気淑しく風和らぐ)では、「初春のよき月」を意味し、現在の元号の「令和」がここから取られた二字からなることは周知の通り。もともとは、「めでたい月。すべて物事を行なうのによい月」(『日本国語大辞典』)の意で、『和漢朗詠集』には「嘉辰令月歓無極」(「嘉辰令月歓び極まり無し」)とある。『源平盛衰記』にも同一の表現が見られる。
 さて、単純に本書における名前の引用頻度だけからいうと、メルロ=ポンティ(13箇所)よりフッサール(31箇所)のほうが多く、かつ同じ文脈で両者に言及されていることが多い。それらの箇所では、当時日本でも盛んに研究され、専門家たちのサークルを越えて関心をもたれていた現象学に中西氏も強い関心を持っており、特に主客二元論の克服と「直観」「反省」という方法に注目していたことがわかる。しかし、当該論文執筆時から半世紀以上たった今、なぜ中西氏が特にメルロ=ポンティの名を挙げ、そこに救いを求めていたと記したのか。その理由を明日の記事から本文に即してもう少し丁寧に探ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


西田哲学の「息遣い」を伝える「地を這う」ような訓詁注釈の必要性

2020-06-12 10:52:43 | 哲学

 昨日紹介した小林敏明編『近代日本思想選 西田幾多郎』(ちくま学芸文庫 2020年)に収録されている七編の論文のうち、最初の著作である『善の研究』第一編・第二編と講演がその基になっている「日本文化の問題」とは、西田哲学に馴染んでない人であっても、西田の所説に賛成するか反対するかは別として、予備知識なしでも、まるで理解できないほど難解なテキストではない。
 その他の論文は、しかし、例えば哲学科で西洋哲学史を一通り学んだ学部生がいきなり読んでも、まったく歯が立たないと思う。優秀な大学院生であっても、西洋哲学一辺倒だと、理解を試みる以前に、奇怪にしか見えない文体を前にして拒絶反応が起こってしまうだろう。どんな哲学書であれ、初見ですらすら読めて、すっと理解できるようなものはないが、西田哲学固有の難しさについては、やはり「熟練者」の手引が必要だ。
 それこそ編者の小林さんがその最適任者なのだが、もし彼が各収録論文に詳細は注解を付けていったら、すでに六百頁近い文庫本が千頁に膨らみかねないから、これは非現実的な話だし、小林さんは、西田哲学についての著書・論文をすでに多数発表されているのだから、注解はそちらを見られたし、というところだろう。
 日本語で書かれた哲学書の中で、西田の諸著作・論文ほど本文に密着した詳細な注解を必要とするテキストもないのではないかと私は思っている。『善の研究』には、例えば、小坂国継の全注釈があるが、その他の著作・論文にはない。西田を論ずる論文・著作は数多あるが、それらの中には小林さんの著作をはじめとして、優れた研究・論考も少なくないが、古典に対する訓詁注釈的態度に徹して一論文の読解を試みたものがはたしてあるのだろうか。
 確かに、西田の論文には繰り返しが多いから、ある一つの論文に対してでさえ、一字一句忽せにせず全文読むことは、労多くして功少なし、と思われるかも知れない。しかし、私自身、博論作成過程で論文「論理と生命」の綿密な注解作業を行って、そこから得たものは実に大きかった。その作業を通じて、西田哲学の「息遣い」といったものが感じられるようになり、それ以後の読解がそれだけ容易になった。敢えて言わせていただくと、西田が「わかる」ようになった。
 訓詁注釈は、大所高所から著者の所説を論ずること、最初からある特定の解釈のみを優先させることを禁じ、その対象となる文章に密着し、その生きた肌理を緻密に辿ることからなる。そのような徹底した「地を這う」ような遅読を通じてはじめて見えて来るものがある。
 例えば、「なぜここは読点であって、句点ではないのか」「この文に主語がないのはなぜか」「この二つの動詞の組み合わせは何を意味しているのか」等、一文一文の読解を通じて思索の現場に忍耐強く立ち会い続けることで、そのテキストに込められた精神的エネルギーが読み手に伝導されるという経験が起こる。そのエネルギーによって生かされていると感じるときが私にはある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小林敏明編『近代日本思想選 西田幾多郎』(ちくま学芸文庫 2020年)

2020-06-11 23:59:59 | 読游摘録

 昨日、筑摩書房から小林敏明編『近代日本思想選 西田幾多郎』(ちくま学芸文庫 2020年)が届いた。四月の刊行直前にライプツィヒにお住まいの編者から、私のところに一冊送るように筑摩に頼んでおいたが、コロナ禍の影響で郵送にはかなり時間がかかるらしいと連絡があった。「気長に待ちます」とすぐに返事しておいた。実際、発売日の四月十日からちょうど丸二月かかったわけである。幸い本はまったく傷んでいなかった。小林さんには、やっと届きましたと報告と御礼のメールをすぐに送った。
 本書は、ちくま学芸文庫オリジナル版で、筑摩書房創業80周年記念出版である新アンソロジー『近代日本思想選』の第一冊目である。西田の論文七編(『善の研究』第一編・第二編、「場所」「永遠の今の自己限定」「私と汝」「行為的直観」「日本文化の問題」「生命」)に編者による各論文の解題と解説、それに西田幾多郎年譜が付され総頁数590頁、文庫版とはいえ、手に持ったまま読むにはちょっと持ち重りがする。
 「生命」は、私が博士論文で詳細に論じた論文の一つであり、「行為的直観」は、その全文の仏訳を博論にその補遺として加え、後に注解を付して、Laval théologique et philosophique, volume 64, numéro 2, juin 2008 に掲載(こちらからPDF版がダウンロードできます)したこともあり、とりわけ思い出深い論文だ。
 これを機会に収録論文すべてを読み直してみようと思っている。