
マテリアルの存在を知ったのは、ミュージックマガジン1982年4月号の記事と、1982年6月にFM東京深夜3:00に始まったピーター・バラカンさん&矢野顕子さんの「スタジオテクノポリス27」がきっかけ。
ニューヨークのアンダーグラウンドシーンで、不気味にうごめく存在がマテリアルだった。
初期のヒップホップやスクラッチを行うDJ・グランドマスターDST、それに、ブライアン・イーノ、ノーナ・ヘンドリックス等々…とクモの巣のように絡みながら、ニューヨークのアヴァンギャルドなシーンの水面下から現れるマテリアルの存在は不気味かつ魅力的だった。
そのマテリアルというユニットの首謀者が荒くれ者ビル・ラズウェル。
彼はベーシストであるが、単なるミュージシャンにとどまらないオーガナイザーのようなスタンスの人。
彼は、自分が生まれ育った三ノ輪の延長線上にあった、当時リスキーなエリアであった山谷や浅草の街で、労働者や浮浪者を仕切り差配する闇のボスのイメージがダブる。
ブライアン・イーノ&デヴィッド・ヴァーンの「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」も当時のニューヨークの匂いが強い。
多様なミュージシャンが参加した、この革命的アルバムにも、ちゃんとビル・ラズウェルが居る。
後の坂本龍一談話によれば、ビル・ラズウェルは「レコードなんてものは、所詮は記録媒体でつまらない。ライヴこそが本当の音楽だ。」
と言っていたそうである。
だが、その発言に反して、彼は様々なレコードに現れる。
余り彼の言うことというのは、そのまま信用していはいけない気まぐれなところがある。
その気まぐれさは、様々な形式のジャンル・カテゴリーを越えて、多様なミュージシャンを結び付け、カテゴライズ出来ない音楽を生み出す。
マテリアルという不思議な組織。
こないだ紹介したカンの捉え難い感じにも通ずる。
今日、紹介するのは、1982年「スタジオテクノポリス27」でエア・チェックした「I’m The One」というファンキーな曲。
ニューウェイヴ・テクノ派の自分にも聴けるカッコ良さがこの曲にはあった。
ドロ臭いストレートなファンクとも一線を画したエッセンスを含み、エレクトロニクスを加えた軽妙な感覚がここにはあって、ブラック・ミュージックそのものではない手触りが、自分には受け入れることが出来た。
日本国内で、ゴールデン・パロミノス他マテリアル一派・一堂のセルロイド・レコードが発売されるまでには、その後タイムラグがあったが、ピーターさんの紹介に拠って、それよりも前に、この不思議な存在を知ることが出来た。
MATERIAL - I'M THE ONE
1枚目のマテリアルのアルバム「One Down」に、この「I’m The One」は収録されている。
ヴォーカルはバーナード・ファウラー。
バーナードは、後にニューウェイヴの最終コーナーで坂本龍一が放った「未来派野郎」のヴォーカリストに選考されたが、マテリアル/ビル・ラズウェルと坂本龍一が後に結びつくとは、まさかこの1982年の段階では思いもしなかった。
しかし、お互いは馬が合ったようで、その後の「ネオ・ジオ」へと繋がっていった。