東京ミッドタウンにある「ビルボード・ライヴ・TOKYO」にジュリア・フォーダムを聴きに行ったことがあるが、大人のための非常に贅沢な音楽空間だった。
チケットは1万以上、レストラン形式で飲食が出来、ウエイター他周囲のスタッフもしっかりした応対。
ここで呑んだ生ビールはさすが高いだけあって、その旨さには、驚いた。
その旨いビールを飲みながら、好きな音楽を目の前で聴く贅沢。
夕暮れ迫る東京のビル群に妖しげな色気ある空と光が演出するのが、正面の大きなガラス貼りの所から、座る座席から見える。
数十人~入って百何十人程度の狭いスペース。
なにせ、目の前1mのところで、あのジュリア・フォーダムが歌うのだ。
演奏は1時間程度と短いものの、贅沢な時間を味わった。
この「ビルボード・ライヴ・TOKYO」は、明らかに30代以上の大人、ある程度の年齢層の音楽ファンをターゲットとしている。
こんな大人の空間がたくさん生まれても良い。
本当にそのミュージシャンが好きな人がそこに出向き「行って良かった」という味わいをじっくりと感じられる。
こんなスペース・環境が生まれることが、今こそ望まれている気がする。
Julia Fordham「Happy Ever After」
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昨日の「ワールド・ハピネス2011」。
私は満足だったが、それでもコンセプト・ターゲット層に疑問を実は抱いている。
しかし、猛暑というのに、赤ん坊や幼い子まで連れてくる若い親には驚いた。連れ回される子供の方もかわいそうで、心配な子もちらほら見えた。
夏フェスは「お祭り騒ぎ」で良いと思っているが、果たしてそうだろうか?
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ざっくばらんで良いということと、何をやっても良いというのが繋がり、理性が開放されて、とんでもないことをする人が居るのは、余り見たくは無いが許される空気がある。
昨日「3・11頑張ろう東北・ニッポン」というTシャツ来た男性が、とてもそういう意志とは程遠いガラの悪さで、タバコはそのへんに捨て・ゴミをそのへんに捨て、更に制止する係りの人に抗う。
彼の「3・11」のTシャツが単なるファッションの一部に見えてしまった。
そういう空気が必ず、群集心理が生まれるのは仕方ないのかもしれない。
しかし、それとは別に音楽への興味の抱き方・反応の仕方にも違和感を去年も今年も感じていた。
飽きっぽく、騒げるようなパーティー音楽にしか反応をしない雰囲気が支配しているのも事実。
まあ、いまやネットでYOUTUBEでI-Podで次から次へシャッフルして聴ける時代の影響がモロその有り様に出ていた気がする。
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大トリのYMO。
一曲ごとにライト・ダウンし、しばしの沈黙。
小雨の暗闇の中「次は何を演奏するだろうか・・・・。」
自分としては、神妙に待ち構える、曲の合間。
YMOを立って聴く中で、後ろに居た関西の男女4・5人組の中の1人の口が悪い女性が騒がしい。
みんなに聞こえる大きい声で「自分はめっちゃ教授のファン」だと言っておきながらも「もう、じいさんやなあ。コイツら。」「曲がおっさん相手のもっさりしたモンばっかりや。もっと勢い良くせにゃあ。」
つい、プチッとキレそうに気が高ぶったのは事実。
自分は、好まぬユニットについては、総立ちの中、邪魔にならずに、黙って寝るか・喫煙場所でタバコを吸うか、ビールを買って呑んでいた。
大きな声してしゃべる若い女性にも、賛否両論あって構わないが、今この『場』を壊す必要は無いと思った。
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ぶっちゃけYMOが出演するがゆえに、なんとか老体にムチ打って、猛暑の中、参加したが、苗場のフジロックは肉体的に「無理」と諦めた。
多分、似たような想いをしている人が居るだろう。
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自分は与信管理の仕事もしているので、今夜、帝国データバンクから『WAVE』が24億の負債を抱え倒産した情報がメールで飛んできた。
「いよいよ始まったか…」と思った。
いずれは来るであろう日が来た。
これは単なる予兆に過ぎない。
いくらでも無料で音楽ファイルが手に入る時代の流れは、放射能同様止めることは出来ない。
音楽に投資するお金が減れば、当然淘汰されていくのは当然の流れ。
80年代、西武がサブカルチャーをまとって時代を席巻する様は圧巻だったし、ドイツのアタ・タック・レーベルを国内に初紹介し、先端を走っていた先鋭的イメージに包まれていた六本木『WAVE』が倒産か…。
隔世の感。
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「ビルボード・ライヴ・TOKYO」に行った自分は、良かった体験を周囲に話し、その仲間が行く。
また、色んな場面で話す。
何かそういった層の広がりが無ければ、音楽産業は成立しない所に行ってしまうように思う。
AKB48戦略などは一過性の儲けを生み出すかもしれないが、猛暑の中ムチ打たねばYMOが見られない状況が健全とは言えないし、潜在的に居るファンが家から無理無く足を運べる場を作ること・より広い層の人に門戸を開くことが今の音楽産業サイドに要求されているように思う。