1984年の夏・・・
夏休みが終わろうとした8月下旬、FMの特集番組を毎日午後聴いていた。
「特別番組 トーク・イン・ミュージック」(NHK-FM)という45分番組で、松山猛さんと加藤和彦さんのおだやかな2人がリラックスしたお話しをしながら間に音楽が挟まった番組だった。
何か夏の終わり感にマッチした番組だった。

8月13日(月)→17日(金)の5回だったが、自分が聴いたのは再放送の27日(月)→31日(金)の午後2時10分からの放送だった。
深い仲の2人は、加藤さんが創る音楽の詞を松山さんが創り、それはミカ・バンドもそうだった。
ただし、この1984年の時点では、松山さんは自分にはアウトドアの人という印象だった。
信州に別荘を設けて、そういう自然に接して暮らすおとなしくつつましい生活をしている人だった。
***
この番組も録音テープで今も持っているが、8月下旬の放送は、今でも記憶に甦る。
空は白くて、すでに秋の匂いが漂うような日だった。
今日(2011年8月19日)も、窓の外ではセミが鳴くものの涼しい外気が窓から入ってくる。
何か皮膚感覚的に、あの1984年8月下旬と重なる。

【空にマイクを向けたジャケット・アイデアが秀逸】
8月28日の曲目は、FMステーションの記載によると・・・
1・クラフトワーク ネオン・ライト
2・加藤和彦 ディアギレフの見えない手
3・ローリー・アンダーソン KOKOKU(ここく)
4・ブライアン・イーノ 2オーヴァー2
としか無いが、実際はここにクラスター&ブライアン・イーノの「未知への扉」が放送されていた。
この曲は、自分が日々蓄積していった「ニュー・ウェイヴ・カセット・シリーズ」のなかにもダビングで入っている。

ブライアン・イーノは、ジョン・ケージ、スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリーといった現代音楽からの影響と、自分自身で研究を深めていったカセットテープ、カセットレコーダーの可能性が一体となって、70年代瀕死の交通事故入院で見つけた「発見」という大事件も作用し、繰り返すリピート音が産み出す波紋のような音楽を作り出す。
「ディスクリート・ミュージック」やロバート・フリップとの共作、アンビエント・シリーズ、そして、クラスター等との共作。

私自身にとって、この1984年晩夏のラジオと「未知への扉」との出会いはとても大きいものだった。
延々と聴いていても、飽きたり・尽きたりすることの無いピアノの調べと繰り返されるシンセで作られたエンドレスのアトモスフィアのテンポ。
今日のこの気温と湿度・空の感覚が27年前の夏の午後を思い出させる。
クラスター&イーノ「未知への扉 (Ho Renomo)」
夏休みが終わろうとした8月下旬、FMの特集番組を毎日午後聴いていた。
「特別番組 トーク・イン・ミュージック」(NHK-FM)という45分番組で、松山猛さんと加藤和彦さんのおだやかな2人がリラックスしたお話しをしながら間に音楽が挟まった番組だった。
何か夏の終わり感にマッチした番組だった。

8月13日(月)→17日(金)の5回だったが、自分が聴いたのは再放送の27日(月)→31日(金)の午後2時10分からの放送だった。
深い仲の2人は、加藤さんが創る音楽の詞を松山さんが創り、それはミカ・バンドもそうだった。
ただし、この1984年の時点では、松山さんは自分にはアウトドアの人という印象だった。
信州に別荘を設けて、そういう自然に接して暮らすおとなしくつつましい生活をしている人だった。
***
この番組も録音テープで今も持っているが、8月下旬の放送は、今でも記憶に甦る。
空は白くて、すでに秋の匂いが漂うような日だった。
今日(2011年8月19日)も、窓の外ではセミが鳴くものの涼しい外気が窓から入ってくる。
何か皮膚感覚的に、あの1984年8月下旬と重なる。

【空にマイクを向けたジャケット・アイデアが秀逸】
8月28日の曲目は、FMステーションの記載によると・・・
1・クラフトワーク ネオン・ライト
2・加藤和彦 ディアギレフの見えない手
3・ローリー・アンダーソン KOKOKU(ここく)
4・ブライアン・イーノ 2オーヴァー2
としか無いが、実際はここにクラスター&ブライアン・イーノの「未知への扉」が放送されていた。
この曲は、自分が日々蓄積していった「ニュー・ウェイヴ・カセット・シリーズ」のなかにもダビングで入っている。

ブライアン・イーノは、ジョン・ケージ、スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリーといった現代音楽からの影響と、自分自身で研究を深めていったカセットテープ、カセットレコーダーの可能性が一体となって、70年代瀕死の交通事故入院で見つけた「発見」という大事件も作用し、繰り返すリピート音が産み出す波紋のような音楽を作り出す。
「ディスクリート・ミュージック」やロバート・フリップとの共作、アンビエント・シリーズ、そして、クラスター等との共作。

私自身にとって、この1984年晩夏のラジオと「未知への扉」との出会いはとても大きいものだった。
延々と聴いていても、飽きたり・尽きたりすることの無いピアノの調べと繰り返されるシンセで作られたエンドレスのアトモスフィアのテンポ。
今日のこの気温と湿度・空の感覚が27年前の夏の午後を思い出させる。
クラスター&イーノ「未知への扉 (Ho Renomo)」