トーマス・ドルビーの「ザ・フラット・アース」と同時期に発表されたローリー・アンダーソンの「ミスター・ハートブレイク」。
一方はイギリス・他方はニューヨークだが、同じ時期に発売されたため、自分の記憶の中でダブる部分が多い。
ピーター・バラカンさんの「スタジオテクノポリス27」では、矢野顕子さんとの会話のやりとりの中で、ピーターさんがこのアルバムを発表前にテープで聴き「めちゃめちゃ良い」とえらい興奮しながら話していたのを思い出す。
私は1枚目の「ビッグ・サイエンス」が好きだったが、どうもローリー・アンダーソンの周辺には当時80年代のニュー・アカデミズムの面々のインテリゲンチャの発言がうろうろしていて、うざったくて「黙って音楽を聴かせてくれよ!」という空気が漂っていた。
ペンギン・カフェ・オーケストラが日本国内で名を知られるようになった時にも、同じような現象が起きていた。
まあ、80年代前半というのは知的であろうとした集団が、最先端の音楽にくっついて滔々と左脳の「論理」で音楽を語ろうとして、音楽を普通に聴こうとする人を邪魔していた時代だった。
そういうインテリゲンチャの様を、たけしが馬鹿にしてコントにしたりしていた。
ということで、この2枚目も聴く前から邪魔な発言に包まれていて、正直自分はピーターさんが興奮するようなほどの感想を覚えなかった。
余計な雑音・ノイズを抜きに好きになれたのは、A面3曲目の「グラヴィティ・エンジェル」・B面トップの「KOKOKU(ここく)」。
***
特にこの「KOKOKU(ここく)」という曲は不思議で、中華三味のCMのようにこんもりした山の間を縫う川と下る舟、そして霧が煙る情景が頭に浮かぶ。
そんな描写の中、外人が語るカタコトの日本語が現れる。
『コモワク ヤマノ ワタシワ サケビ
ワタシノ コエヲ ユウシャノ ココク
ワタシワ ソコニ ワタシワ アソブ・・・・』
LAURIE ANDERSON 「KOKOKU」
よく夏に、涼しい気分になるためにこの曲を聴いた。
***
このアルバムにもマテリアルのビル・ラズウェルが絡んでいる。
「シャーキーズ・デイ」「シャーキーズ・ナイト」そしてこの「KOKOKU(ここく)」でローリー・アンダーソンと共同プロデューサーとなり、全曲のベースを弾いている。
ローリーは確かに知的で魅力的な独自の音楽を創ったミュージシャンではあったが「シャーキーズ・ナイト」で、ウィリアム・バロウズを語りで起用しているのはインテリゲンチャを刺激させるための確信犯的行為に思えた。
(ウィリアム・バロウズと言えば、90年代、周囲の動きから無理矢理再結成させられたYMOの「テクノドン」も想起するが、「テクノドン」はYMO本人らが思うのとは異なって、めちゃめちゃカッコイイ作品だった。)
このアルバムには、ピーター・ゲイブリエル、エイドリアン・ブリュー、ナイル・ロジャーズ、デヴィッド・ヴァン・ティーゲム・・・等々名だたるミュージシャンが結集している。
逆にここまで豪勢なメンツが揃うと、聴く方がビビってしまい、引いてしまっていた、というのがリアルタイムの当時の自分だった。
かなりな年月が経ったので、やっとニュートラルな状態で、このアルバムを聴けるようになった・・・そんな感じだろうか。
一方はイギリス・他方はニューヨークだが、同じ時期に発売されたため、自分の記憶の中でダブる部分が多い。
ピーター・バラカンさんの「スタジオテクノポリス27」では、矢野顕子さんとの会話のやりとりの中で、ピーターさんがこのアルバムを発表前にテープで聴き「めちゃめちゃ良い」とえらい興奮しながら話していたのを思い出す。
私は1枚目の「ビッグ・サイエンス」が好きだったが、どうもローリー・アンダーソンの周辺には当時80年代のニュー・アカデミズムの面々のインテリゲンチャの発言がうろうろしていて、うざったくて「黙って音楽を聴かせてくれよ!」という空気が漂っていた。
ペンギン・カフェ・オーケストラが日本国内で名を知られるようになった時にも、同じような現象が起きていた。
まあ、80年代前半というのは知的であろうとした集団が、最先端の音楽にくっついて滔々と左脳の「論理」で音楽を語ろうとして、音楽を普通に聴こうとする人を邪魔していた時代だった。
そういうインテリゲンチャの様を、たけしが馬鹿にしてコントにしたりしていた。
ということで、この2枚目も聴く前から邪魔な発言に包まれていて、正直自分はピーターさんが興奮するようなほどの感想を覚えなかった。
余計な雑音・ノイズを抜きに好きになれたのは、A面3曲目の「グラヴィティ・エンジェル」・B面トップの「KOKOKU(ここく)」。
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特にこの「KOKOKU(ここく)」という曲は不思議で、中華三味のCMのようにこんもりした山の間を縫う川と下る舟、そして霧が煙る情景が頭に浮かぶ。
そんな描写の中、外人が語るカタコトの日本語が現れる。
『コモワク ヤマノ ワタシワ サケビ
ワタシノ コエヲ ユウシャノ ココク
ワタシワ ソコニ ワタシワ アソブ・・・・』
LAURIE ANDERSON 「KOKOKU」
よく夏に、涼しい気分になるためにこの曲を聴いた。
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このアルバムにもマテリアルのビル・ラズウェルが絡んでいる。
「シャーキーズ・デイ」「シャーキーズ・ナイト」そしてこの「KOKOKU(ここく)」でローリー・アンダーソンと共同プロデューサーとなり、全曲のベースを弾いている。
ローリーは確かに知的で魅力的な独自の音楽を創ったミュージシャンではあったが「シャーキーズ・ナイト」で、ウィリアム・バロウズを語りで起用しているのはインテリゲンチャを刺激させるための確信犯的行為に思えた。
(ウィリアム・バロウズと言えば、90年代、周囲の動きから無理矢理再結成させられたYMOの「テクノドン」も想起するが、「テクノドン」はYMO本人らが思うのとは異なって、めちゃめちゃカッコイイ作品だった。)
このアルバムには、ピーター・ゲイブリエル、エイドリアン・ブリュー、ナイル・ロジャーズ、デヴィッド・ヴァン・ティーゲム・・・等々名だたるミュージシャンが結集している。
逆にここまで豪勢なメンツが揃うと、聴く方がビビってしまい、引いてしまっていた、というのがリアルタイムの当時の自分だった。
かなりな年月が経ったので、やっとニュートラルな状態で、このアルバムを聴けるようになった・・・そんな感じだろうか。